今週も学校徘徊が多かった。授業中の子どもらを立って見ていると、とにかく腰がじっとりだるく痛くなる。今年度は「全クラスを見てもらい、子どもについて一緒に相談したい。」と声をかけてくださる先生がいて、4、5月に学校へ行くことにしていた。その1校目に今週行った。全21クラス中、11クラスを1日で回った。放課後、1時間の研修をし、その後、見たクラスの先生方と情報交換をした。前日、いちびって?ジムで泳ぎ、すっきりと思いながら起きると案の定鼻炎が出た。薬を飲んだので、帰宅途中は眠くて眠くて、だった。
一日つかって子どもを見て、研修をして、というのは初めてで、しかも、神戸市でない西宮市で4月のこのクソ忙しい時期に研修に時間をさかせて、しょうもないことをしたらどうしよう…と思わないわけではなかった。自分にないものをひねり出すことはできない。神さまから教えられたことを伝え、私にできることを精一杯しよう、それをどうしてくださるかは神さまの分だ、と考えた。そして、「ここ(この学校)へ導いてくださったのは、主にあることです。ここで主を教えられ、主を味わえますように。」と祈り学校へ入った。
結果、よい研修になった。先生方の表情からも手ごたえを感じた。ただ、”いいこと”と目に見える結果ではなく、主にあることを私が感謝し、主を喜び褒め讃えたか、である。私は、”出会う子どもを通し、自分が主を教えられる、その恵みから伝える”ということに平安を持てた。これが一番大事なことと思う。
昨日は、保護者からの電話相談を受け、迷ったが、担任にその内容を伝える電話をした。すると”ごちゃごちゃ言ってきやがって”と言わんばかりに、電話で話していると一切無言になった。うんともすんとも言わない。こんな先生は初めて…。「じゃあ、(子どもの)言うとおりにすればいいんですか…」と言うので「いえ、この子について必要なことを聴いて頂き、その上でどうするか、お考えください。よろしくお願いします。」と言うのが精一杯だった。
こんなに思いが伝わらない人も珍しく、新しいパターンだ。こちらは見た目に”わるいこと”であり、なんでこうなるのか、と思える。
しかし、どちらも主にあること。子どもにかかわっていて自分が果たす役割は限られている、と実感させられる。私が関与できないところで神さまは不思議なことを起こし、展開させられる。私は、その主を待ち望み、主を味わうことを求める。見た目に”いいこと、わるいこと”は関係なくはないが、そこにだけ振り回されるのは、違う。
今年度は、新しいこと、50こにチャレンジしたい。
1.ブリの照り焼き(4/17) 2.一日研修(4/21) とできた。淡々と精一杯歩む中で新しいチャレンジを楽しみたい。
50個と言わず、100個ぐらい目指してください。その中のひとつに、ギターやアルトリコーダーを入れませんか?私もがんばります。
返信削除ギターは是非入れたい、いや、入れます。アルトリコーダーは…、やってみるか…。
返信削除100にすると3、4日に1つのペース、ちょっときついかと。また、いろいろお誘いください。
私もキチンと数えてみようかな。
返信削除私も銀じ郎さんのおかげで写真をやってみる気になったと思います。