2011年4月16日土曜日

ああ、新学期




新学期が始まり、1週間が過ぎた。この土日、先生たちはくたくただろう。休みもほどほどに山と積もった仕事に土日も追われる方が多いだろう。


今週は、1年生の教室にも補佐で入った。緊張が強く、すっと話せないなど固まることがある男の子と手をつなぎ校舎を軽く回ることになった。ぎこちなくつなぐ彼の手を握り歩いた。すごく取り扱い注意、といった感じのくせに慣れるとぞんざいな口をきくことは知っていた。次、彼に会ったとき名札に入れた似顔絵を見せた。知り合いの美術の先生に描いてもらい、そんなウラを知らない子らに「先生、めっちゃ似ている、絵、うまいな~」と言われた絵である。それを見て彼が一言「おっさんくさい」

だから、かわいい。ますますいじりたくなる。1年生の教室に行くのが楽しみだ。


今週のもう一つの仕事は、学校徘徊だ。木金で6校を徘徊した。

その中に、私が椅子を机に叩きつけるところを見せた彼の学校もあった。昨年度から、ゆっくり話し合いをしたい、と言われていたが時間がとれず、今回になった。

担任だけでなく校長先生や養護教諭、特別支援コーディネーターなど6名も入られ話し合いになった。そんな話し合いになると思わず行ったので、内心「これはこれは…」と多少うろたえた。まあまあ、ぼちぼちやりましょう、という私のスタンスに物足りないといった感じの話も出て来たので、そこから、なぜ、ぼちぼちやりましょう、なのか精一杯説明した。それは、彼を通し主に私がどう扱われたか、という部分にかかわることだ。神さまが…とは言えないが、彼を通じて我々がどう教えられ振る舞うべきか、真摯に話した。先生たちとそんな話し合いになると思っておらず、4時半ごろに入ってから学校を出るときは8時を過ぎていた。「彼をよくする、ではなく、彼はよくなる、と信じて我々がすべきことを淡々と精一杯しましょう。パニックや欠席が増え、見た目、悪くなったようでも、すべきこと(担任として他の子らをしっかりみる、学級を、学校を平常通り動かすなど)をしてそこに付き合いましょう。彼は大事です、でも、彼に囚われるのは熱心でも愛情でもないです、間違っています、だから、ぼちぼちやりましょう。」

この学校は学期に一度は来て研修をもってください、と言ってくださった。1学期中にあと2回は行くと約束した。2回も行けば私の底は知れるだろう…、でも、神さまが私をどう取り扱い、子どもを、その家族を、学校で向き合う先生を、どう見るべきか示してくださたことを伝えるチャンスが与えられていることは喜びであり感謝だ。行為ではなく、主にあることを喜びたい。


3枚目の写真は他校に入ったとき、目に入った風景だ。桜の花びらが舞う中、子どもらが遊んでいた。

「ただ、あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」と言ってくださった主が、私の新学期を用意してくださっている、と感じる一週間だった。

2 件のコメント:

  1. いい仕事していますね。

    周りの無理解に黙り込みたくなる場面もあるけれど、真摯に語る続けましょう。

    子どもには、ことばではなく、ぎこちなく握る手を通して伝わるものが必ずあります。

    私たちは特に力があるわけではないけれど、私を此処に置いたのは主ですから、何か良いことが起こるのは当然なのです。

    とても励まされる記事でした。

    ありがとう。

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  2. ありがとうございます。

    ここに置いてくださった主に期待します、主に信頼します。

    今年度は、主が置いてくださっているところを大事にするつもりです。子ども、その家族、向き合う先生、との私のかかわりが全てのベースです。精一杯、そのかかわりから教えられたことばで伝えられるように努めます。

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