2011年3月31日木曜日

手作りフォトボック




昨日、若い人に頼んで一緒に作ってもらったので、今日一人でやっても30分ほどでフォトブックが仕上がった。昨日のズレもなく、きれいに製本でき大満足。父親が主役で「家族」というタイトルにした。80歳のお祝いにフォトブックを、が実現した。「卒業」というタイトルで6年担任に送ったものも職場の方に好評で、ワンショットだけフレームに入れて他の同僚にあげたら「嬉しいです、泣きそうです。」と喜ばれた。昨日今日でむっちゃいい人になったみたい…。作り方は、ネットに画像をアップロードしPDFファイルに変換したものをダウンロードする。それをプリンターで印刷する。この印刷の紙とフォトブックにするキットが、その会社独自のものでポイントである。その会社は学校教材としての売り込みを考えているが、こんなにできるなら一般向けにも販売してくれたらいいのに…。既存の会社の商売をおびやかすようなことは、企業のつきあいではばかられるのかな~。撮った写真でこんなプレゼントが手軽に作れるなら、すごくいいのに…。


そして、ラッキーさんの助言を参考にルミックスFX700を1.4万円で買った。家族用、ということにしているが、私の技術からしてもこれで十二分。2011版は、これで撮るつもりだが、また、いろいろ教えてもらおう。下の写真はFX700で撮った今朝の一枚。


まず、自分が神さまの恵みに感謝し、神さまご自身を喜び、上機嫌でいることはとても大事なことだ。

2011年3月30日水曜日

私の趣味?

フォトブックのキットを頂き、昨日はじめて作ってみた。不器用な私は自信がないので、若い人に頼んで一緒に作ってもらった。それでも30分はかかり、仕上がりもズレがあったので、一人だとできていたか…。フォトブックの内容は、前回の卒業式の写真である。担任を中心に20枚の写真を編集?した。 私の仕事は、学校教育とうまくいかないケースの相談が多く、一見するとしんどそうなところがあるようで、ストレスを溜めないようにどうしているのか、という意味で「趣味は何?」と養護教諭(保健室の先生)の方に聞かれた。いつも、趣味、と聞かれ困るだが、今回は「今度、見せます。」と言ったから、このフォトブックを見せて「趣味です。」と答えた。 本当は、写真が趣味、…そうなのか?と思う。単純に、今、楽しめている、と思っているし、写真を撮ることで私の思いの一面を表出し、そのことがすばらしく自己の安定となっている。でも、趣味、かな~、今回フォトブックをプレゼントしたように、写真を撮ることでどんどん人と新しいコミュニケーションができている。それは、数年前にはなかった私の新しい部分である。 2つ目は、私の父を中心にしたフォトブックを作る。父に渡すのが楽しみである。

2011年3月26日土曜日

卒業式


肌寒い24日、神戸市内のたいていの小学校で卒業式があった。

私が勤務する小学校は学年に一クラスしかない小規模校である。一学年に5クラス以上あるような大規模校は、それはそれでたいへんだが、小規模校も実にたいへんである。私が着任した4年前から荒れ、その荒れを今年度は克服し、運動会、音楽会と学校行事ごとに変わっていく学校をわかりやすく実感できた。この卒業式でも、まさに一年の総まとめらしく、よいものを感じた。写真は最後の最後に子どもから花束をもらう担任である。子どもはもちろん立派、でも、担任も本当によく努力をされた。朝から彼にカメラを向け撮ったが、撮っていていい気持だった。

写真集にするキットを入手しているので20ページの写真集にして週明け彼にプレゼントするつもりだ。おっさんからじゃなきゃ、彼ももっと嬉しいだろけど。

私のSIGN写真茶話会でも写真集2010もできあがった。昨年は表紙を黒、今年度は白にした。ブラック&ホワイトで、私が"学校”という職場でどのように取り扱われ歩んできたか、お伝えするものになった。Y.B.Mさんの導きに感謝したい。

私も”卒業”し、新たな歩みに踏み出したい。

2011年3月21日月曜日

大震災に思う②~この手に包まれて

SIGN写真茶話会で編集されてからタイトルが思いつかず2010SIGN写真茶話会の発注が一月ほど止まっていた。昨日やっとタイトルを「この手に包まれて」としてカメラのキタムラに発注した。

東日本大震災の報道を観ていたら、高台にある自宅からホームビデオで津波が押し寄せる様子を録画しているものがあった。この高台は大丈夫だろう、とビデオを動かしていたようだが、迫ってくる津波に「これは危ない、避難しよう。」と言うと横にいた小学生の息子さんが「宿題はどうするん?」と聞いていた。父親は少し笑いながら「そんなことを言ってる場合じゃない。」と答えていた。

阪神・淡路大震災のとき、私は転職し教員に採用された1年目だった。肢体不自由児の養護学校に勤めており、新学期に書いた書初を教室に広げていた。学校へ向かう車中で「あの書初に物が落ちてらどうしよう。先輩に『お前が片付けてないからじゃ。』と言われるな~。」と考えていた。学校へ着くと屋上の貯水タンクが割れ各フロアー水浸しになっていた。書初を広げていた教室は2㎝ほど水がたまり、書初はスーと流れるように浮いていた。勿論、そんな書初どころの話ではなく対応にすぐ追われた。気にした先輩は自宅が半壊でその日は出勤もできなかった。

あのときも、自分の日常って何だ?!と思った。

宿題を気にする小学生、書初を気にする新米教師、…普通の日常なら当たり前にちょっと気にする事柄でも、本当は実にどうでもよいことがたくさんある。

しかし、同じ日常の事柄でも、やっぱりどうでもよくないものがある。平板な日常から、確かなものを教えられる必要がある。2010年に撮った写真には、私の仕事の日常がある。愛着と自立の間で、学校という社会に戸惑いながらやりくりしている子どもらを、私の教室に迎え営んだ日常である。学校で普通に学級担任として子どもに向かってはできなかったことをここでさせてもらっている。私なりに自分のこの両手で包むように扱った”時間”である。子どもを写しているが、自分の姿が写っており、そして、そんな私を子どもを、そっくり包む神さまの御手を感じている。
私は、神さまの御手に包まれている、と思えているから、流れ捨て去られそうな子どものある部分を自分の手ですくい上げ包みたい、と思っている。こういう気持ちで仕事に向かえることが、私に与えられている神さまからの報いと思える。

「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」(哀歌3:24)

東日本大震災に現場で向かう方々を支えてください。被害の中にある方々に答えがありますように。そして、具体的な救援が進みますように。
報道からはリビアの問題も伝えられている。便利さや虚実を自慢することが主流の”日常”が正されますように。まず、自分自身を問い質さなければ。

2011年3月19日土曜日

大震災に思う①

「ガッチャーン。」
台所の方からガラスのわれたような音がしました。電気も消え、真っ暗な中で、子ども用の服を入れている軽いタンスが倒れているのが見え、そこでねているのはお姉ちゃんだと気づきました。すると、お父さんがタンスを上げ、お姉ちゃんが出て来たので、ほっとしました。それから、学校の運動場にひなんしました。
「おばあちゃんの家を見に行こうか。」
と、お父さんが言い、二人で走り出しました。板宿を過ぎてから、もう走れなくなりました。屋根かわらが落ちていたり、たおれてきそうな家もたくさんありました。おばあちゃんと、お母さんのお姉さんと二人くらしだったので、余計に心配になりました。けむりくさいにおいもだんだん強くなってきました。もうすぐで、おばあちゃんの家という所で、ぺっちゃんこの家がありました。そこのおばあさんが泣きながら、
「むすめを助けてください。お願いします。」
とさけんでいました。私は、助けようとは思わず、そのまま通り過ぎようと思っていました。すると、お父さんが、
「これ持っといて。」
と、一言言ってから、私にジャンパーを投げて、ぺっちゃんこになった山みたいな家に上がっていきました。私は、ふさがった道の真ん中でつっ立っていました。
「おばあちゃんたち死んでたらどうしよう。死なないでよ。お願い。」
と思いながらも、どこかで、
「知らない人なんか助けなくてもいいのに。おばあちゃんたちを先に助けてよ。」
と思っていました。すると、なみだが急にぽろぽろと出てきました。いつもだったらすぐになみだをふくのに、人にもじろじろ見られているのに、全然気にしていませんでした。
「見つかったぞ。」
と言う知らないおじさんの声で、なぜかうれしくなりました。お父さんが出てきて、うれしくてほっとさいました。

東日本の大震災は、ありえない規模の被害となっている。
原発の問題はいまだ解決の様子はない。
被災し避難されている方々、救援活動をされている方々、原発の現場作業にあたっている方々、…極限の中にいる方をどうか守ってほしい。

地震と津波は天災であるが、人災と思われるものが多い。私たちは弱さやエゴをもつ者で、このような惨事では、その弱さやエゴがあらわにされる。冒頭の作文は阪神淡路大震災のとき5年生の子が書いた作文だ。「知らない人なんか助けなくてもいいのに。」と思う自分を知りぽろぽろ涙を流し、でも大切なことに心打たれた経験が書かれていた。助けに行ったおばあちゃんは助かったが、その家は火災で全焼した。しかし、作文には「すっかり焼けてしまったおばあちゃんの家、思い出だけは焼けませんでした。私は大人になっても忘れないと思います。」と書かれていた。自分の弱さやエゴを見せつけられても、そこから立ち上がる力が与えられると信じている。

この国の政治や経済・産業や、人の価値観を問い質し、国が変わる、変わらざるをえない”とき”となるだろうか。この震災でも暴動や略奪が起きない国、世界にない国民性がありながら、諸外国に容易く翻弄される国、…どうか今極限にある人を救ってほしい。

2011年3月12日土曜日

地震

昨日、教室に来られた保護者の方から知らされた。

ぞっとする。

管首相、しっかりとしたかじ取りしてください。

2011年3月6日日曜日

マイペース


昨日今日はゆっくり過ごした。家で仕事の文章をいくつかまとめ、ジムに行って汗を流しストレッチをし、…こういうマイペースな時間を過ごさないととても疲れる。

花粉情報ではすでに兵庫県南部も「非常に多い」となっている。ところが幸いなことに私の症状はまだマシである。2月末からひどいときは5月の連休明けまで症状が続く。この間は鼻呼吸していたのを忘れるほどであり、食事も味がしないどころではなく、食べていると呼吸ができないので、途中でふ~と呼吸を入れなくてはいけない。そこへくしゃみや鼻水が…と仕方ないと思いつつも情けない期間になる。

ところが幸いなことに「非常に多い」日になっても症状がマシで鼻呼吸ができている。薬も飲んだが効き目なし、5年ほど前レーサー治療をしてもダメ、レーザー治療では1回目全く効かないので医者に相談するとただで2回目をしてくれた。でも、ダメ。そんな何をしてもダメだった私なのに…。昨年もほとんど症状がなく、それは花粉が少ないからか、と思ったが、多いといわれる今年で症状が出なかったら、これは…と期待している。

何が体質改善?になったのか…変えた事で思いつくのは、仕事(通常学級の担任から通級担当へ)と、ビフィズス菌や乳酸菌をとり、ウ〇コを1日に何度もすること(すみません)、の2つである。仕事はともかく、ビフィズス菌(乳酸菌)などの整腸、これは効いたのかもしれない。

写真は今朝犬の散歩中「梅にウグイス」と定番の春の1シーンを見かけ撮った。近所には梅林公園もあり、梅にウグイスは毎年見る。鼻呼吸でこの1枚を撮れることは嬉しい。

花粉症がマイペース、ではなく、変わったマイペース、が嬉しい、感謝。

2011年3月5日土曜日

節目の季節


先週の土曜から2泊3日で韓国・ソウルに行ってきた。家族旅行は3年ぶりだ。長女は高校で行くはずだったニュージーランドが新型インフルで中止になり、次女は未経験のことにびびりやすいので経験のために、どこでもいいから海外に行こう、ということで安いソウルになった。おそらくこの先は、しばらく家族旅行もないだろう。娘らは自分らの旅行をするようになる。

学生のとき、以前の教会の方に案内して頂き韓国に行った。当時は、統一教会が話題になっていたので「関係ありません。」と説明したり、教科書問題で反日感情が強く「大丈夫か。」と言われたり、といった時代だった。今は、韓流ブームで様変わりである。

我が家は、ヨン様には関心ないが、東方神起やKARAなどK-POPに興味を持ち出し、ガイドブックにあった”コスメクルーズ”といった化粧品を楽しみに母娘は出発した。帰ってからよく韓国に行く同僚に聞くと「韓国は家族より女同士で行くと楽しい…。」と言う人があり、「なるほどなあ。」と思った。

20年近く前に行ったとき、板門店ツアーとタブコル(パゴダ)公園に行かせてもらった。その強烈な印象は忘れられない。ガイドブックを調べてもタブコル公園のことはわからず、帰国するため空港に向かうバスでガイドの方に「パコダ公園ってありますか?」と聞いてみた。聞く前に国旗がたくさん掲揚されており「何かあるんですか?」と別の方が聞かれ、ガイドの方は「明日、3月1日は韓国の祝日です。韓国には恥ずかしい歴史があり、日本の植民地になった時期があります。その時期に独立運動があった3月1日を祝日にしています。」と説明してくれた。若い者はうちの娘らぐらいで、みんなその後は黙っていた。私は、その3.1運動の聖地となっているタブコル公園と自分の記憶の”パコダ公園”がつながっておらず、ずっと気になっていた質問を最後にしてみたつもりだった。

「どうして知ってますか?」とガイドの方は驚かれた。「学生のとき、韓国の知人に連れて行っていただいた。調べてもわからなかったので…」と言うと、場所など教えてくれた。「観光客は行かない。お年寄りがたくさん行っている。施しを求める人もいる。」と言ったことも話してくれた。帰国してネットで調べるとパコダではなくパゴダであり、さらにタブコル公園が正式のようだ。宗教上のこともあるようだ。

今週と来週で、通級での指導は終わる。今年度、担当する子どもと家族に会うのは最後になる。6年生には卒業お祝いをし、他の子らには、また4月になったらね、と声をかける。それぞれに”節目の季節”である。私も同じだ。4年間やってきたことで教えられたことから来年度は少しやり方を変えていこうと思っている。その意味もあり3月後半は学校徘徊と資料整備が続く。

私が何をしたか、何をみたか、…何をさせて頂いたか、何を見させて頂いたか、静まって考えたい。

南大門市場の路地を入ったところにあるサンゲタンのお店で食べたタットリタンという鶏肉の料理。抜群においしかった。私もまた旅行を楽しみたい。