音源としては決してよくはないが、なんとも味わい深い。
ときどき蓄音器風にして流れる今の音楽があるが、やっぱりハンドル(というのだろうか)を回して、プチプチジジ…と入る中で流れるメロディは、よかった。
機械でそれっぽくしているウソものではなく、生(本物)はいい。
しかし、これとて生演奏ではない、生ではない…。
仕事柄、ほぼ毎週、相談に来られる親子と初対面する。
扉をあけられた瞬間から出られるときまで、2時間ほどの間に「どういう方か?」と思いを巡らせ見ている。
もちろん、分かるわけはないが、わかることも、もちろんある。
直接会う、ということはなかなか深い。
先日、浅田氏の写真展にプライナスというバンドのお二人が来られていた。お話は聞いていたが、お会いするのは初めてだった。やっぱりオーラっぽいものを感じた。オーラは俗っぽ過ぎるが、要するに他者に対し自己表現しようとする意思を感じた。もっと簡単に言うと、伝えたい、という自己アピールが、雑談していてもご飯を食べていても、そのしぐさやことばに出ていた。YouTubeで再度みたら、話に聞いていた時より、断然いいな~と変わった。こんどは演奏しているところをなんとか観たい、聴きたい、と思った。
生で会ったからこそ、湧いてきた思いだ。
これだけ音楽や映像がお手軽に手に入ると、機械を通して流れるそれらのものと人が本当に伝えるものの違いを忘れてしまう。
いつのまにか生(本物)でないものが、生(本物)として扱ってしまうような…。
「聖者の行進」の歌詞に「この世界が現実の全てだという人がいる、でも、選びの民に加えられ私は天国に行きたい」と天を今の現実として歩む思いを歌っている箇所がある。
みこころを、生のものとして味わいながら、生活したい。