ことばのお遊び的なゲームで”20のとびら”というものがあります。
”20のとびら”という名称が一般的なものかどうかは不明ですが、果物で野菜でもなんでもいいので「キュウリ」とか「ミカン」とか書いたカードを箱に入れ、出題者が「この中には果物の名前を書いたカードがあります。」とヒントを出した後、回答者が「色は何色ですか?」「いつの季節の果物ですか?」など質問していき、何が入っているか当てるゲームです。
スリーヒントゲームというものもありますが、似たようなもので、先日仕事場でやってみました。
出題者Aは子どもで、質問者(回答者)Qは私です。
Q「色は何色ですか?」A「オレンジに似ています。」Q「値段は高いですか?」A「けっこう高いです」Q「どんなふうにして食べますか?」A「ゼリーに入れたりします。」Q「すっぱいですか?」A「すっぱくはありません、甘いです。」…などなどやり取りがあり、「メロン」「みかん」「もも」などいろいろ答えましたが、全部ブッブー× ギブアップして聞くと「最後のヒント、お魚にかけて食べたりします。」「えっ、レモン?
!、すっぱくないっていったやん。」すると憮然として「レモンはすっぱくないやん。」と言われてしまいました。
味覚的な感じ方はいろいろなので、レモンがすっぱいかどうかは、それぞれの感じ方でいいでしょう。ただ、一般的な了解として、レモンはすっぱい、としたいところです。まあ、それでさらっと流してほしいわけです。「私は、すっぱくなくて甘いけど、すっぱいというのが一般的なんだ。」と理解してほしいところです。それが、通じません。「レモンはすっぱくないやん。」と断言します。
「ああそうか、〇〇さんはそう感じるんだね。」だけで流すか。しかし、このままにすると、また、子どもらの中で「ナニユウテンネン」と突っ込まれたり、こんなゲームなら「すっぱくないなんて言うから、当たるわけなやんか!」と文句を言われたりします。「たいていの人は、レモンはすっぱいねんで。」とちょこっと言葉を足しました。
この子は、こういう食い違いがありとあらゆる場面であり、学校でしんどい気分になります。
「私は、こう思うけど、みんなは違うんだな~」と自分を客観視できれば、まだ多少楽だろうと思いますが、それがまだ無理なので、始終まわりから批判されるような思いをしています。
たかだか小学生の6年間ですが、こういう戸惑いを持つ子には激流のような日々で、自分のペースに伴走して一緒にやってくれたり、伴奏してポジションを与えてくれたり、する存在はなかなかないです。
私の仕事場にいる間は、なんとか伴走も伴奏もしたい、せねば、と思います。
2010年1月30日土曜日
2010年1月24日日曜日
ガラガラポン
何を今さら、ではあるが、私は、弱く愚かな者である。環境に左右されず、確たる考えを持てるほど賢くも強くもない。
環境をガラガラポンする、されることで、気づいていなかった自分の思いを突きつけられ、立ち止まって考え直す、そういった作業が必要な者である。
Y.B.M氏が「本質的に大事なことは自分が何をしたいかであって、空気やタイミングを読むことではない。」と書かれていたが、全くその通り。
それは、空気やタイミングと共に「人にどう思われたいか」ということも一緒である。自分が何をしたいかを大事にせず、他のことでその場その場を上手にやり過ごしても、ツケは必ず払わなければいけなくなる。案外、自分が何をしたいか、を考え、それを大事にするより「空気やタイミングを読み、人によく思われるように振る舞う」ことの方が簡単なことがある。私にとっては、そう感じることの方が多かった。
さて、私にとってより簡単ではない「自分が何をしたいか」を大事にしなくてはいけないときになった。ここは正念場?ポイントである。神さまは、そんな表情をされるかどうかはしらないけれど、ニヤニヤ笑いながら「さて、どうする?自分がやりたいことを言ってみなさい。」と見てくださっているように思う。当然ニヤニヤ笑って言われたのではないけど、ベテスダの池で一人の病人に「よくなりたいか。」と言われたように、私も私の本質に問いかけられている。主の導きを期待し楽しもう。
そんなことを考えながら(…このフレーズは、まただけど)、割り箸鉄砲を作って、写真の的を狙って輪ゴムを撃った。実に昔ながらのお遊びだけど、子どもは繰り返し撃っていた。新しく的を作ったり、置く位置を変えたり、輪ゴムを一度に3つほどかけたり…楽しむための工夫をあれこれし出すと、私としてはとっても嬉しい。そして、そうやって遊び出すことを私が楽しそうに喜んでいると、気づかないうちに子どもの心に沈めておける者になりたい。
2010年1月16日土曜日
また1.17となって
15日はおそらく神戸のほとんど小学校で震災追悼集会がもたれたと思う。
時期的にそうなのだが、毎年追悼集会は本当に寒い日になる。「しあわせはこべるように」という歌の2番に「優しい春の日差しのような 未来をゆめみ」という歌詞がある。ガチガチ震えるように寒かった震災の朝から、復興へ向け粉塵が舞う町に春の日差しがさすようになったあの年のことが思い出される。子どもらと歌いながら、いつも一人別世界で感慨深いものが込み上げてくる。
「しあわせはこべるように」は現職の音楽の先生が作られた曲だ。神戸ではとても有名な先生で、音楽会のフィナーレに歌われる「見えない翼」は、これも神戸のほとんどの小学校で歌われている。私は面識がないが、近所にご自宅があることは知っている。震災当時「こんな歌、作りやがって…」と正直思った。今は、そんな思いもなく、書いたように2番の歌詞で特別な思い持つ。もはや曲の善し悪しでは語れないものとなった。
職員の反省に「震災が風化し、子どもらが命の大切さを考える機会になっていない。」と出る。
1.17が近づいて、とってつけたように「命の大切さ」と言って、子どもが考えられるわけがない、と内心は思っている。そういう浅はかさこそ反省すべき、と思うが、正面切って言うと、職場で浮くこと間違いなしである。
ヒロシマへ行く修学旅行もそう。とってつけたように事前に平和学習とやっても、すべるすべる…。
かつて同じ勤務校だった養護教諭(保健の先生)が、1~6年でする性教育を実施してくれた。2年と4年の担任時一緒に授業をし、他の学年も丁寧に見せてもらった。詳しくは書けないけど、1~4年までは、まさに「命の尊さ」をテーマにした授業である。1人の命が、どれほどの奇跡から誕生するか、自分が親につながり、その親がまた親につながり、連綿と続く命のすごさを1年から4年までの成長にあわせ、待ちながら、ゆったり学んでいく(生活科、総合、国語や理科とも連携する)、とても素晴らしい授業だ。そういった命への取り組みが1年生から積み上げられている延長に、震災を考える授業や平和学習がなければ、本当にダダすべりになる。それができないのなら、「震災は風化したな~」と潔く?諦めた方がいい。態度が悪い、と子どもを叱る、実につまらない時間に、震災追悼集会がなってしまう。
そんなことを考えながら、私は子どもとグライダーを作った。
放課後の運動場で子どもと飛ばしながら「なかなかいけるね~」とニンマリ。前任者がたくさん購入してくれているので、しばらく楽しめそう。
こんな仕事ぶりを、人に紹介できるようにまとめておくつもりだ。
時期的にそうなのだが、毎年追悼集会は本当に寒い日になる。「しあわせはこべるように」という歌の2番に「優しい春の日差しのような 未来をゆめみ」という歌詞がある。ガチガチ震えるように寒かった震災の朝から、復興へ向け粉塵が舞う町に春の日差しがさすようになったあの年のことが思い出される。子どもらと歌いながら、いつも一人別世界で感慨深いものが込み上げてくる。
「しあわせはこべるように」は現職の音楽の先生が作られた曲だ。神戸ではとても有名な先生で、音楽会のフィナーレに歌われる「見えない翼」は、これも神戸のほとんどの小学校で歌われている。私は面識がないが、近所にご自宅があることは知っている。震災当時「こんな歌、作りやがって…」と正直思った。今は、そんな思いもなく、書いたように2番の歌詞で特別な思い持つ。もはや曲の善し悪しでは語れないものとなった。
職員の反省に「震災が風化し、子どもらが命の大切さを考える機会になっていない。」と出る。
1.17が近づいて、とってつけたように「命の大切さ」と言って、子どもが考えられるわけがない、と内心は思っている。そういう浅はかさこそ反省すべき、と思うが、正面切って言うと、職場で浮くこと間違いなしである。
ヒロシマへ行く修学旅行もそう。とってつけたように事前に平和学習とやっても、すべるすべる…。
かつて同じ勤務校だった養護教諭(保健の先生)が、1~6年でする性教育を実施してくれた。2年と4年の担任時一緒に授業をし、他の学年も丁寧に見せてもらった。詳しくは書けないけど、1~4年までは、まさに「命の尊さ」をテーマにした授業である。1人の命が、どれほどの奇跡から誕生するか、自分が親につながり、その親がまた親につながり、連綿と続く命のすごさを1年から4年までの成長にあわせ、待ちながら、ゆったり学んでいく(生活科、総合、国語や理科とも連携する)、とても素晴らしい授業だ。そういった命への取り組みが1年生から積み上げられている延長に、震災を考える授業や平和学習がなければ、本当にダダすべりになる。それができないのなら、「震災は風化したな~」と潔く?諦めた方がいい。態度が悪い、と子どもを叱る、実につまらない時間に、震災追悼集会がなってしまう。
そんなことを考えながら、私は子どもとグライダーを作った。
放課後の運動場で子どもと飛ばしながら「なかなかいけるね~」とニンマリ。前任者がたくさん購入してくれているので、しばらく楽しめそう。
こんな仕事ぶりを、人に紹介できるようにまとめておくつもりだ。
2010年1月9日土曜日
七輪
子どもの頃、七輪に練炭が入れられ鍋が置かれていたり餅が焼かれたり…、私の手伝いは風呂焚きだったり…そう、かなりの田舎で私は育ち、火を使うことは当たり前で日常的でした。何かを燃やしてみたい、と火遊びする気など全く無縁で、日常的に火遊びが認められていたようなものでした。鉈とか鎌とかの刃物も使わせてもらえ、今考えると、よくけがをしなかったな、と思います。
学校では石油ストーブに習字で使う文鎮を2本載せ給食のパンを置いて温めて食べていました。これは、子どもの発案でなく先生がそうして食べよう、と言い出したことです。この先生は、焼き芋屋さんが、ピーと音を立ててくると、私に千円札を持たせ買いに行かせました。給食のメニューに焼き芋が追加です。あちこちでよく話をするのですが、「もうちょっと書くか。」と習字が2時間連続になったり、算数がなくなって外で遊んでいたり…春と秋には写生大会で日がな一日絵を描いていたり、と。
たいした運動会練習もなく、音楽会は全くなく、そんな小・中学校を送っても、それなりの大人になっています。つくづく、必要なこと大切なことはなんだろう、と思うとがあります。
この写真は、私の仕事の一場面です。
3年生の社会「昔のくらし」で七輪でも餅焼きをしたことをヒントに、通級指導教室でもやっています。炭火で餅だけでなくマショマロや甘口するめの一夜干し(めっちゃうまいです)を焼いて食べたりもします。
「どんな(教育的)ねらいですか。」と尋ねる人や「(学校で)何してんねん」と声をかける人や…。
「どんな(教育的)ねらいですか。」と尋ねる人や「(学校で)何してんねん」と声をかける人や…。
そんな人らに内心は、バッカじゃなかろうか、と思いつつ、笑顔で「楽しいですよ。」「餅、焼いてます。」と答えています。
ソーシャルスキルトレーニング、書字コントロール、言語理解や聴覚・視覚認知、全て大事で、私もその課題をしてもいますし、軽んじる気は全くありませんが、私のところは楽しくなければ、無駄、と思います。
たこ焼きホットケーキ ⇒ はずれはだぁ~れ?!
らっきょinゼリー ⇒ 大当たりくじ引き大会
その他にも、五平餅、茶碗蒸し、わらび餅、白玉団子、などなどいろいろ作ったし、松ぼっくりのクリスマスツリーや木工もやった。リコーダーを一緒にした子、キャッチボールとバッティング練習に終始した子もいました。
今年も、新しいことにチャレンジし、私がまず楽しむ、くらいの気構えで、どんどんやっていくつもりです^^
2010年1月5日火曜日
まど・みちお さん
NHKスペシャルの「まど・みちお」さんを録画していたので観た。
話されている映像を観るのは初めてで、「まどさんってこんな方か~」と。
すごくすごく素敵な方だった。
数年前、妻の認知症と神さまの恵みについて朝日新聞に文章を書いておられた。この番組でもその詩が紹介されていたが、1日の終わりに関する詩と共に、実に深い。
まどさんは、キリスト教の教会にもかかわられていたようだが、この番組では信仰について一切触れられていなかった。でも、詩の中の「天」という言葉など、まどさんが、神さまとの話し合いの末、自分の言葉で、神さまの思いを語られているように感じた。
今朝は彷徨坊主さんが、西宮まで彷徨しに来ておられたので早朝デートをした。
その後、番組を観たのだが、お互い、100歳までとかでなく、ますます神さまからの恵みの輝きに意識を留める者でいましょうね。
モーニングセット、ごち、でした ^^
話されている映像を観るのは初めてで、「まどさんってこんな方か~」と。
すごくすごく素敵な方だった。
数年前、妻の認知症と神さまの恵みについて朝日新聞に文章を書いておられた。この番組でもその詩が紹介されていたが、1日の終わりに関する詩と共に、実に深い。
まどさんは、キリスト教の教会にもかかわられていたようだが、この番組では信仰について一切触れられていなかった。でも、詩の中の「天」という言葉など、まどさんが、神さまとの話し合いの末、自分の言葉で、神さまの思いを語られているように感じた。
今朝は彷徨坊主さんが、西宮まで彷徨しに来ておられたので早朝デートをした。
その後、番組を観たのだが、お互い、100歳までとかでなく、ますます神さまからの恵みの輝きに意識を留める者でいましょうね。
モーニングセット、ごち、でした ^^
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