学校徘徊、とは上手く言い表したものと思う。
昨年、Salt氏が新任の先生を指導するため3,4つの学校を順に訪問することになったとき、娘さんから「徘徊先生」と言われ、そのエピソードから「学校徘徊」というネーミングもいただいた。
4月は教員の異動に伴いあいさつ回りもかねて、他校に行っている。中には「クラスの子どもの様子をみてください。」とか「どの子が気になりますか?」と言われ、訪問する学校もある。
こういった仕事のことを巡回相談、巡回指導、学校訪問などなどいろいろ言い表すが、”徘徊”が相応しいかな…と思えてくる。
これでも「主よ、あなたが教えてくださることを伝えさせてください。」と毎回祈る。それでも、30人前後の子どもと向き合っている同業者…先生…に何を言っても徘徊者の戯言?かな~と思ったりしてしまい…。
4年目になる通級指導教室での仕事をちょっとしっかり見直したい。
やっぱり同じことをしていたらマンネリでダメだ。新しいことにチャレンジしよう。
”徘徊者の戯言”でよい、それが主にある役割をしっかり果たせますように。
今週は8校まわる。さあ、徘徊しまくるぞー!
2010年4月10日土曜日
桜の季節
写真は神戸市灘区にある「桜のトンネル」と呼ばれる名所?である。ご覧の通り昼間は大渋滞になる。近所では保久良神社の桜もきれいだ。
これから、いい季節になる。
新年度がスタートした。私は通級指導教室に勤めるが、もちろん所属する小学校がある。ただ、その小学校の一員でありながら、かなり”つけたし”的な存在である。この3年間、いろいろやってみたが、職場の一員というには、どうにも部外者的な感をぬぐえなかった。前任校まで職場の中心、とまでいかなくても近いところで仕事をしていたように思うので、この立場は実にビミョ~だった。
そんな私の立場はさておき、実は勤務校は過去2年神戸市内でも生徒指導も問題件数がベスト3に入る学校だった。4年前、着任したときは「なんやこれ!」と呆れたが、翌年から見事に問題が噴出した。
しかし、この3年、職場の同僚の文字通り辛抱強い取り組みで学校が変わった。
変わりきれなかった6年生の子らが昨年度卒業し、6年生がいなくなった翌日の終業式から職員も子どもも変わった。この4月の始業式や入学式では、2年前、1年前の様子を思い浮かべられない。説明しても、おそらく信じてもらえないだろう。
そう変わるために、どれだけ同僚が耐え忍んで、あきらめず投げ出さず取り組んできたか、直近でみることができた。罵詈雑言などの暴言、破壊行動、対教師暴力、保護者からのクレーム、などなど日常茶飯事だった。丁寧な指導を繰り返しても、その指導を小馬鹿にするように茶化す子らがいた。傍で見ていても許し難い子どもの言動だった。
こうなってしまったのは、確かに子どものせいだけではない、しかし、教師の指導の問題、だけでもない。
公立学校という箱物のしんどさは、ちょっと気をぬくととんでもないものに、子どもも教師も保護者も変えてしまう。そうなった学校を変えるのは至難の業である。それを同僚はやっていった。
私個人は、その変化に貢献した、その取り組みに加わった、と思えない。
「直近で見た。」としか言えない。
でも、それでいい、とようやく思えだした。いつもいつも中心に(あるいは中心に近いところに)いるわけではない。”私の分”として「直近で見る」ということが与えられたことなら、それを感謝して、しっかり見よう、と思う。
入学式がすみ、職員写真を2、3人ずつ撮った。とってもすてきな笑顔の写真が撮れ「見てください。」と職場の同僚に声をかけた。嬉しくて一人でも何度かその写真を見ていた。
私は、担任教師、として集団で育てる立場でなく、学校の一員として職場の同僚と一体となる立場とも違い、どこでも脇役に徹する?ような立場なのかもしれない。
ここに主が置いてくださった、という一点を心に置き、やっていこう。
来週からは、週の半分以上学校徘徊となる。
主と共に徘徊しているのだ。ありがとうございます。
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