2011年6月4日土曜日

なぜか!?

私もコメントが入力できなくなり…
彷徨坊主さん、すみません。下記に取り合えず引越ししました。

http://blog.goo.ne.jp/gintantan8255

自分で決める



結局、「自分でやろう」と自己決定しない限り、変われない。

その自己決定のために「こうあるべきでは…」ということを周囲が示すことはできても、だから「こうします。」ということは本人が決めない限り、やらせようとしてもするはずはなく、やっているようでもその子に(人に)とって、身に付いた、というものにはならない。

そして、自己責任を負わず「言われている通りにしているのに…」と他者のせいにする。


発達障害の特性がある子たちと向き合い、わがままやなまけとは違うから…と許容するものと、発達障害であろうとなかろうとしなくてはいけないことの区別をどう考えるか、常に問われてきた。

その意味を考えず、体裁や見栄のためにどうでもいい約束を強いられるようなことには「ほっておいてください。」と言い、この子が自分なりに社会に生きる人になるために、と思うことにはしっかり向き合わせる、と言えなければいけない。

その上で「君は自分で決めてやろうとしているか。」と問う人でなければ…。


今週は、朝登校できない理由をぐたぐた言う子に「学校に行こうと思っているか。」と問い、「こんなんしたくない、将来困っていいもん。」と言う子に「困っていいなら、今、これをやって困りなさい。」とプリント課題をやらせ…今年度、何を中心にして、子どもとその保護者や先生たち、と私が”かかわる”のか、少しずつ教えられてきたように思う。


自分で変わろうと思うのか、そのために動く意思があるのか、神さまの前で、それぞれに応じて自己決定・自己責任を問われることは、等しく同じである。


写真は、チョーマイペースの小4女子の手にかかったワニワニパックンである。現在、彼女と私の関係は、私がこのワニワニパックン状態である。トホホのホ…だ。

2011年6月2日木曜日

長年の思い込み

日本は、どうなるのか。辞める、と言ってしまった菅首相でどうなるのか、次といっても…。 被災地の方はほんとうに深刻な状況だ…。

ところで、
この人は誰でしょう。お分かりになる人は、美術関係に詳しい?方なのでしょうか。


ヴァシリー・カンディンスキーです。


兵庫県立美術館で今「カンディンスキーと青騎士」展だったか、やっています。観に行きたいな、と思っています。そもそもなんで私なんぞが”カンディンスキー”に関心があるか…。


実は、松田聖子の「パール-ホワイト・イブ」(詞:松本隆)という曲のラスト近くに「カンディンスキーの雪が溶けて 滑り落ちてく」という歌詞があり、名前だけ記憶していた。今日、Youtubeの動画で松田聖子が歌うのを観てみると、「カンディンスキーの~♪」という部分の歌詞が「壁のスキーの」と字幕が出ていた。「えぇ!ウソ~」とびっくりし、ネットで調べると確かに「壁のスキーの雪が溶けて」だった。


なんちゅう思いこみ…不気味な松本隆ワールドにこのようにはまり込んでいたとは、う~ん、バカだ。


ちなみに松本隆は、この人。手前は佐野元春だろう。

兵庫県立美術館は、なかなかステキだ。お茶も兼ねて行ってみよう。


私の分を歩むしかない。

2011年6月1日水曜日

ぼつぼつ


疲れの原因は、自分の内にある動機だと、しみじみ教えられる。

おかしな動機で始める行いでは、なんともどんよりとした疲れが生まれる。

動機が正しく導かれたなら、同じ行いでも変な疲れは生まれない。

自分の動機は、何を根拠にしているのか、そこにこそ注意・集中することが大切だ。


シルバニアンファミリーがこんなに高いおもちゃとは思わなかった。娘らは知り合いからおさがりをもらい、それにちょっと買い足したのでわからなかったが、一からそろえると、高い…1万円くらいすぐするじゃないか。公費で買う教材とはいえ、1万は…5千円弱で用意したが、楽しく遊べたので準備した甲斐があった。


柑橘系の木にうじゃうじゃ産み付けられたアゲハの卵や幼虫を3年生取りに来させた。一時、卵や幼虫はいなくなったが、また、産み付けられた卵から幼虫が育ってきた。3年生が持って行ったアゲハは教室で緑の立派な幼虫になっていた。テストの〇つけを手伝うと「Q1:モンシロチョウとアゲハが卵を産む葉は違いますか?」⇒「A1:違う」「Q2:それはどうしてですか?」⇒「A2:幼虫がすぐ葉を食べられるため。」という問題があり、Q2の答えに「一番おいしいから」とあったり「とりあいになるとなくなるから」とあったりした。前者は、うまいまずいではないので×、後者は、モンシロチョウとアゲハが同じ葉を食べると取り合いになるから違う葉に産む、ということだろうと〇にした。妙に「なるほど」と思った。


分をわきまえる、動機を正しく導かれる、…さあ、明日もぼつぼつやろう。

2011年5月29日日曜日

違う刺激を

昨日は職員親睦バレーボール大会。オール単学級の小規模校では、戦力には程遠い私も参加せざるをえず…20年近く前は主役級でやれていたのだが…ははは。

しかし、ときにはこういう刺激を体に与えないといけないな~と思う。体を動かすことは嫌いではなく、ジムで走ったり泳いだりはしている。同じメニューをこなすと体はいい感じだが、同じことをしていては気かないことがある。思うように体は動かない、が、楽しかった。チャレンジ6:バレーボールにしよう。チャンレンジ50プランは、ちょっとスロー過ぎて50にとどくか、いやいや、これからだ。


4月の末にひいた風邪がようやくスッキリした。一月かかったが、やっと体調も戻ってきたので、6月は、また、ぼちぼちとやろう、と考えている。写真も撮れていない、前回の子の箱庭を見ていると、なかなか面白くて掲載した。


先日は、医者や教育ジャーナリストが「こどもがどう育っていくのか」と語られるのを興味深く聴いた。それに対し教師は「こどもが学校でどうか。」という話からどしても出にくいように思う。言うのは簡単、言うのは簡単、…私も、さてどう考えたものか、というケースを委ねられている。

2011年5月21日土曜日

ビックリ箱

箱庭療法は有名だ。やはり有名な先生によって学派っぽいものがあるようで…詳しくは知らないが、知り合いの先生からもらった学会の研究会は、びっくりするような参加費だった。ぼった〇〇…ではないか!

そんなことはさておいて、今週も「砂で遊ぶ」と、これが気に入った彼女に付き合い箱庭コーナーですごした。露出を-1にするとすだれごしに入る西日(2時過ぎだが)がいい感じになる。記録、と思ったので標準にもどしたが、これなら次回は露出-1でいろいろ撮ってみよう。今回も私が撮ったものを印刷し、彼女と一緒に見てお話しした。フォトブックキットも注文したので、彼女の箱庭物語が最初の1冊目になるか…。

こんなふうにかかわりが始まる子もいれば、いろいろだ。

新年度から30名弱のケース(子どもと、その家族、及び先生)を担当している。その中に、今までになかったようなトラブルが起きたケースが1つある。担任と、親も私もぶつかって敵対関係のようになった。ついに母親が泣いて訴え、担任がその姿に引いた状態だ。その後、校内でいろいろ話し合いもあったようで、しかし、本当に担任が理解しているわけではない。私も、学校からいろいろご批判を受けた。「ふざけるな、だぼ!」が正直な気持ちで、私にも言い分(結構、当たり前のことと思っている、当然ながら)はある。しかし、言うのは勿論やめている。今週、母親に「私の甘さで、ミスです。申し訳なかったです。」と謝った。今後こんなことがないように保護者と一緒に申し送り資料を作る話をした。

このケースの失敗?が心にあり、良好にスタートしているケースの話も、嬉しいのだけど単純に喜べない。それでいいのだろう、このケースがないと、私はただのバカになっているだろう。
6年生の子と立方体の展開図を勉強しているとき、箱の中に箱、その箱の中にまた箱が…を思いつき、最後はビックリ箱にすることにした。

ある子は何を描いたか見せようとしないので、ちょっと気になり、漫画を読んでいるすきにこっそり見た(いつもはこんなことしません^^)。すると「ありがとう」と一言書いているではないか。
この子の気持ちの状態を感じ、すごく嬉しかった。すぐ別の子とするときに私はパクらせてもらった。開けて開けて最後が「ありがとう」っていいじゃないですか。

そうなんだ、最後は「ありがとう」が本当なんだ、一つ一つを感謝したい。

2011年5月14日土曜日

何を大事としているか




ぎっちり詰まった一週間が終わり、天気のよい土曜日になった。目の前のことに振り回されたり追い立てたりせず、何を大事とするか、しっかり考えたい。つつかれるとすぐ感情で反応してしまう弱さを感じる。感情によるものや、動機を考えない言動は行き詰るし、よいものに向かわない。


いのちが育つ、ということは人手を超えたものによる。人手を尽くせば尽くすほど、そのことを教えられるように思う。


過敏さとこだわりから教室におれない子と人形で遊んだ。彼女が並べる人形を「お話しているの?」「ごはんを食べているの?」と声をかけ、ただその世界を私が味わっていく。その30分が彼女のこころを整え、教室での刺激を受け止められるようになってくれればと思う。私は整体が好きだが、いい先生はゆっくり休ませて体を弛めさせてくれるとともに自分では気づかない自分の体のことを伝えてくれる。そして、整体の場を出てから日常の中で自分の体をどうしていけばよいか気付かせてくれる。彼女も私のところで休まるとともに「こうやれば、私は大丈夫」と思えるようになる気づきを自分で得て欲しい。他者の人手ではなく自分が得て行くものでなければやっぱりだめだ。そういった気付きや生き方を本人が得て行くのを見守ることを、私が求めなければいけない。

小3からかかわった子が、この春中1となった。


どんな中学校生活を送れるか、ずっと話し合ってきた。中学になり担当はかわったが、話を聞くと予想以上にがんばって学校生活を送っているようだ。「がんばっているな~」と声をかけ、いつものアホな雰囲気の抱擁をした。制服姿を撮らせてもらった。小4の頃はカメラを向けると怒って絶対撮らせなかったが、「撮っていい?」と聞くと「ええで。」としっかりカメラを向いてくれた。この先の彼の成長も簡単とは思えない。しかし、成長させてくださる方に期待しよう。


種を地面に植えるか鉢に植えるか、子どもが学校という枠で育つか、それ以外の枠で育つか、いずれにしても枠にあわせることではなく育つことを見守らなければ…。週末は、静まって考えたい。