2011年5月29日日曜日

違う刺激を

昨日は職員親睦バレーボール大会。オール単学級の小規模校では、戦力には程遠い私も参加せざるをえず…20年近く前は主役級でやれていたのだが…ははは。

しかし、ときにはこういう刺激を体に与えないといけないな~と思う。体を動かすことは嫌いではなく、ジムで走ったり泳いだりはしている。同じメニューをこなすと体はいい感じだが、同じことをしていては気かないことがある。思うように体は動かない、が、楽しかった。チャレンジ6:バレーボールにしよう。チャンレンジ50プランは、ちょっとスロー過ぎて50にとどくか、いやいや、これからだ。


4月の末にひいた風邪がようやくスッキリした。一月かかったが、やっと体調も戻ってきたので、6月は、また、ぼちぼちとやろう、と考えている。写真も撮れていない、前回の子の箱庭を見ていると、なかなか面白くて掲載した。


先日は、医者や教育ジャーナリストが「こどもがどう育っていくのか」と語られるのを興味深く聴いた。それに対し教師は「こどもが学校でどうか。」という話からどしても出にくいように思う。言うのは簡単、言うのは簡単、…私も、さてどう考えたものか、というケースを委ねられている。

2011年5月21日土曜日

ビックリ箱

箱庭療法は有名だ。やはり有名な先生によって学派っぽいものがあるようで…詳しくは知らないが、知り合いの先生からもらった学会の研究会は、びっくりするような参加費だった。ぼった〇〇…ではないか!

そんなことはさておいて、今週も「砂で遊ぶ」と、これが気に入った彼女に付き合い箱庭コーナーですごした。露出を-1にするとすだれごしに入る西日(2時過ぎだが)がいい感じになる。記録、と思ったので標準にもどしたが、これなら次回は露出-1でいろいろ撮ってみよう。今回も私が撮ったものを印刷し、彼女と一緒に見てお話しした。フォトブックキットも注文したので、彼女の箱庭物語が最初の1冊目になるか…。

こんなふうにかかわりが始まる子もいれば、いろいろだ。

新年度から30名弱のケース(子どもと、その家族、及び先生)を担当している。その中に、今までになかったようなトラブルが起きたケースが1つある。担任と、親も私もぶつかって敵対関係のようになった。ついに母親が泣いて訴え、担任がその姿に引いた状態だ。その後、校内でいろいろ話し合いもあったようで、しかし、本当に担任が理解しているわけではない。私も、学校からいろいろご批判を受けた。「ふざけるな、だぼ!」が正直な気持ちで、私にも言い分(結構、当たり前のことと思っている、当然ながら)はある。しかし、言うのは勿論やめている。今週、母親に「私の甘さで、ミスです。申し訳なかったです。」と謝った。今後こんなことがないように保護者と一緒に申し送り資料を作る話をした。

このケースの失敗?が心にあり、良好にスタートしているケースの話も、嬉しいのだけど単純に喜べない。それでいいのだろう、このケースがないと、私はただのバカになっているだろう。
6年生の子と立方体の展開図を勉強しているとき、箱の中に箱、その箱の中にまた箱が…を思いつき、最後はビックリ箱にすることにした。

ある子は何を描いたか見せようとしないので、ちょっと気になり、漫画を読んでいるすきにこっそり見た(いつもはこんなことしません^^)。すると「ありがとう」と一言書いているではないか。
この子の気持ちの状態を感じ、すごく嬉しかった。すぐ別の子とするときに私はパクらせてもらった。開けて開けて最後が「ありがとう」っていいじゃないですか。

そうなんだ、最後は「ありがとう」が本当なんだ、一つ一つを感謝したい。

2011年5月14日土曜日

何を大事としているか




ぎっちり詰まった一週間が終わり、天気のよい土曜日になった。目の前のことに振り回されたり追い立てたりせず、何を大事とするか、しっかり考えたい。つつかれるとすぐ感情で反応してしまう弱さを感じる。感情によるものや、動機を考えない言動は行き詰るし、よいものに向かわない。


いのちが育つ、ということは人手を超えたものによる。人手を尽くせば尽くすほど、そのことを教えられるように思う。


過敏さとこだわりから教室におれない子と人形で遊んだ。彼女が並べる人形を「お話しているの?」「ごはんを食べているの?」と声をかけ、ただその世界を私が味わっていく。その30分が彼女のこころを整え、教室での刺激を受け止められるようになってくれればと思う。私は整体が好きだが、いい先生はゆっくり休ませて体を弛めさせてくれるとともに自分では気づかない自分の体のことを伝えてくれる。そして、整体の場を出てから日常の中で自分の体をどうしていけばよいか気付かせてくれる。彼女も私のところで休まるとともに「こうやれば、私は大丈夫」と思えるようになる気づきを自分で得て欲しい。他者の人手ではなく自分が得て行くものでなければやっぱりだめだ。そういった気付きや生き方を本人が得て行くのを見守ることを、私が求めなければいけない。

小3からかかわった子が、この春中1となった。


どんな中学校生活を送れるか、ずっと話し合ってきた。中学になり担当はかわったが、話を聞くと予想以上にがんばって学校生活を送っているようだ。「がんばっているな~」と声をかけ、いつものアホな雰囲気の抱擁をした。制服姿を撮らせてもらった。小4の頃はカメラを向けると怒って絶対撮らせなかったが、「撮っていい?」と聞くと「ええで。」としっかりカメラを向いてくれた。この先の彼の成長も簡単とは思えない。しかし、成長させてくださる方に期待しよう。


種を地面に植えるか鉢に植えるか、子どもが学校という枠で育つか、それ以外の枠で育つか、いずれにしても枠にあわせることではなく育つことを見守らなければ…。週末は、静まって考えたい。

2011年5月10日火曜日

どう見るか



私のところへ来た小4の女の子が上の掲示物を見て「避難訓練なのに、この子はあくびしている、だめじゃな~い。」と言った。いやいや、これはハンカチで口を押さえているんだよ、と横にいたお母さんは説明するけれど「あくび、あくび」と笑っていた。
あくびをしている、は面白いけど、教室で避難訓練の話をしているときに「あくび、あくび」と笑われると先生はちょっと困るだろうな、と思った。本人にちゃかしてやろう、なんて悪気は全くないので余計に…。
先日、研修を受けていると、ある大学の先生が「脳で見る」という話をされた。見たものをどう理解するか、は脳の働きであり…と説明された。当たり前と言えば当たり前だが、見たものをどう意味理解するかはいろいろ考えさせられるところである。

これは先日私が作ったミートスパとサラダ。まずミートスパは注文しない私が、チャレンジしてみた。ミートソースはもちろん缶詰、それにたまねぎとひき肉を炒めて入れた。やらないことをやってみてチャレンジ5つ目にした。

2011年5月7日土曜日

かかわり…具体的で個別的な特殊性



昨日は、連休の谷間ながら学校徘徊を入れず通常業務にした。3人の子どもと4人の保護者に会った。5時過ぎに終わると、「やっと終わった~」と思わず言ってしまった。これを”通常業務”というのも変だが、一つ一つのケース(子ども、保護者、そして、かかわる先生たち)に向き合うのが私の”通常業務”、つまり、中心にある、核となる、ものである。学校をまわってペラペラしゃべるのは、この一つ一つのケースに向き合う”通常業務”があるから派生するものであって、ペラペラしゃべるのが”通常業務”には成り得ない。


「かかわり」こそが意味があることで大切なことなのだ。


「具体的で個別的な特殊性から普遍性が生まれる。はじめから普遍性を求めたりねらったりしては何も生まれない。」とはリコーダー講座でSaltさんが語られたこと。直接は哲学や芸術に関することばのようだが、私は、自分の仕事の在り方として肝に銘じるつもりで聴いた。

私は「具体的で個別的な特殊性」をしっかり求め追う、つまり、一つ一つのケースに向き合い、生々しいかかわりを築くことが第一とされることである。その私の「具体的で個別的な特殊性」にこそ、他の人の参考になる普遍性が生まれてくるのだろう。他の人の役に立ちそうなことを考え出して話を作っては、チョー胡散臭いものにしかならない。うまく話せば話すほど臭い。


だから、「かかわり」こそに意味がある。第一とし、しっかり見つめるべき”場”として私に与えられたものだ。


落ちていた長靴、それをわかるように誰かが置いたような風景、予想もつかないワールドをもつ女の子の箱庭、咲き誇り、見つめていると変に落ち着かなくなる花々、…与えられた仕事から、こんな「具体的で個別的な特殊性」を大事にし、ぼつぼつ淡々とやっていきたい。

2011年5月5日木曜日

田植え




田舎に帰り、田植えをちょっと手伝った。本当に今までロクにかかわらなかったのだが、ここ数年、山間にある田んぼの風景など、残したいな、と思うようになった。しかし、生易しいことではなく、山も田んぼも生計としてかかわるくらいの労を払わないと維持できない。ちょっと帰って手伝うようなことでは全くお話ならない。40年前の子どもの頃と変わらない風景もあれば、耕されず手入れされず崩れ荒れるままの元田んぼや山林がある。


この国が向かうところは深刻だ。


一般民は善良で誠実で、権力を持つ政治家や官僚や財界人や学者やメディアや…が悪い、といったことだけではないだろう。私の田舎に大きな工場ができ雇用が増え所得が上がるなら喜んで誘致した、するだろう。こうなってしまったのは”〇〇のせい”だけでなく、みんな、それぞれ責任をとらなければならないことがある。それはそれとして、一つでも多く悪が正され、悲惨な状況に置かれている方を救ってほしい。


やはり、個々人が何に向かっているか、その一点だけが大切と思う。

2011年5月3日火曜日

まいった、まいった

前回の銭湯の後、きっちり風邪をひいてしまった。いろいろな意味でちょっと反省した。翌日の1日は休養を兼ねだらだらと家で過ごし、昨日はヘロヘロで学校徘徊をした。旧知の教頭先生が、私の鼻声を心配してくださったのだろう、別れ際「頑張ってください。」とチオビタドリンクを握らせてくれた。あはは、っと内心で笑い、励ましを感謝して受けた。


写真は、高1の娘が学校で行った布引のハーブ園で撮ったもの。他の写真をみても楽しそうだ。父もちょっと嬉しい。

三ノ宮や元町に行くと観光の方も多い。私は、今日から田舎で田植えをしてくる。デジカメのバッテリィを充電し、iPodに仕込みもして…連休後半を楽しもう。