2010年7月25日日曜日

ちょっと後悔


先日、天然温泉が出る別の銭湯に行った。

浴槽のあるところを入ると、イレズミの方がパッと目に入った。
銭湯でイレズミのある方に会うのは、別に珍しくないので、ああいらっしゃるのか…と思うのだが、この日はちょっと違った。

1人、2人ではなく、4、5人。しかも、両手で壁に手をついて立っている人のイレズミの背中を、これまたイレズミのある方が2人がかりで流していた。他にもカラータイマーがつくあたりにひし形のイレズミがある若い衆、また、新しく入ってきたイレズミさんは先に入っているイレズミさんをみて膝をついて「おはようございます」と挨拶…あっという間に10人ほどイレズミさんが浴槽に入っていたりサウナにいたり、という状況になった。

30人弱の人のなかに10人ほどイレズミさんで、こんなところで一般人に手を出すことはない、とわかりつつビビリまくりブーだった。ここの銭湯の常連さんは慣れっこなのかな~?みんな知らん顔して湯船につかっていた。でも、なんとなく知らん顔もしらじらしい気がして…。

撮れっこないけど、この風景を写真にできたら味があったろうな~。

学校の水泳指導中でもいいショットがあったのに、デジカメをもっていず、残念。

この写真は、なんといってもこの字にひかれて撮った。一つ一つの字の特徴もさることながら、割ときれいな位置取りで3行書かれているのに文末になるに従って小さくなっていたり、前を歩くたびに気になっていた。
撮れずにちょっと後悔したことが続いたので、取り払われる前に撮りに行った。

神さまは、いろいろ楽しませてくださっている。
暑くてのぼせそうな毎日だが、この暑さだからこそ味わえる恵みや楽しさ、面白さを地味に味わおう。

2010年7月19日月曜日

約束の地

Salt氏のメッセージ「ヨシュア記」を逆に5回聴いた。最後は年初の1回目だった。
いろいろ教えられ示されることろがあり、よかった。感謝。

「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。 ・・・ あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア記1:3~5)

ヨシュアの前にたちはだかる者は、カナンの地の者だけでなく、アカンのように身内のイスラエルにもいたではないか、主のことばはウソなの?

なんて書いたら、メッセージの何を聴いとんねん!と言われますね。

でも「あなたの前にたちはだかる者はいない。」と言われた主のみこころを考えながら、これからのメッセージも聴かせていただきます。

2010年7月17日土曜日

ドキが、むねむね


 私の仕事場は通級教室といい、学校現場で療育を行うところである。
 プレイセラピーもよく行われ、おもちゃの類はわんさとある。さすがに溜まりすぎ、使わなくなったものは処分しよう、と整理していると、古いリカちゃん人形がわさっと出てきた。小学部はおっさん2人なので「これはな~」と処分しかけると幼稚部の先生が引き取ってくれた。
 ひとしきり片付けて下に降りると、思いがけない洗濯ものが干してあった。リカちゃんの服と分かるが、なんとも見過ごすことができす、デジカメで撮った。
 別に、へんな趣味はないが、ちょっと「ドキが、むねむね」といった妙な感覚だった。
 角度を変え、構図を変え、何枚も撮っていたらその姿を「何をしているのか」と同僚に携帯の動画でこっそり撮られていた。
 完全に”あやしいやつ”である。
 「実は、写真教室…茶話会に通っていて、写真が楽しくって…」と話し、翌日、同僚に初めて昨年の写真集をみせた。悪性のあやしい趣味ではなく、良性のあやしい趣味?とは理解してもらえた。
 ちょっと出している写真と話題が微妙ではあるが、前回、Y.B.M氏が「自分にしか見えないもの、自分にしか感じ得ないもの」と言われた。私は、人との比較の中で何か特別秀でた自分の才能を見せなさい、と言われているのではなく、私を出しなさい、私で見せなさい、と言われているように思った。
 リコーダー講座に参加しているさっちゃんの音楽には、私がある。Y.B.M氏が問うもののヒントをさっちゃんの姿に感じる。
 「よくなりたいか。」、「この人はどうですか。」「…、それがあなたに何のかかわりがありますか。」
 イエスさまの問いかけは、いつも私自身に対してである。流れや空気や雰囲気をうまくくみ取ったものではなく、私自身から発するものを求めておられる。
 まだ、もやもや感はあるが、届きそうな、見えそうなものを感じる。
 私は私としてつくられ、神さまの前に置かれた。リカちゃん人形の服の洗濯もので「ドキが、むねむね」するのも私である。そして、こんな私を通して、子どもと家族に働きかけるものを神さまは用意される。私自身から発する声を、主は聴かれる。おりこうさんになる必要はない。私のそのままの声を主に投げかけよう。
 楽しいことはいっぱいある。それを喜ぶようにしてくだった方に感謝します。

2010年7月11日日曜日

自分に見せられているもの

先日、人間ドックに久しぶりに行った。
昨日帰宅すると結果が来ており、いろいろE判定(再検査要)が出てしまった。
ドック直前に、ちょっと不摂生をしたのが悪かったか、それまで数値はよかったのに、残念。

その中で、右目に黄班網膜前膜の疑いあり、とあった。
普段はなんともないが、通勤中文庫本を読んでいると右目の視力がガクンと落ちることがあり、「老眼か」と思っていたのだが、早めに眼科に行ってみようと思う。

見えなくなるのは、ちょっと、かなり困る。
でも、見よう、きばると見えなくなるものがあるような気がする。
でも、見よう、と思わなければ見えないものもある。

私に見せよう、と神さまが思われているものを、私が見ようとしますように、という姿勢でいることが私にとって大切である。

さて、今あるものを、あらためて見つめ直そう。

2010年7月1日木曜日

灘の…、とくれば


普通は”酒”でしょうか。
灘五郷といわれる地には、菊正宗、白鶴、月桂冠など有名な酒造メーカーがある。それ以外にも酒蔵がたくさんあり、ぶらり散策しながら試飲も楽しめる。
しかし、隠れた?灘の楽しみに”温泉郷”もある。
いずれも普通の銭湯だが、天然温泉でなかなからしい。
私は”おとめ塚温泉”のファンで、ちょいちょい仕事帰りによっている。ここは、源泉垂れ流しで炭酸水素イオンたっぷりの湯に、ぼよよ~ん、と浸かれる。露天風呂から梅雨中休みの夕暮れ空を見ながらリラックスできた。
「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受けるべき分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」(伝道者の書5:19、20)
自分の頑張りや努力、成功、人の評価…そういったものが自分を喜ばすのではなく、「神が彼の心を喜びで満たされる」と思うと、上手くいく、いかないに一喜一憂するのとは違う考え方があると思った。
「あ~、よく寝た、スッキリや。」と目覚め、今日も喜びで満たして頂こう、と日常を歩みたい。