2011年1月29日土曜日

背中の憑きものも

今週はしんどかった…
日に日に背中がこわばり不調になっていく。
こういうときに「あなた、憑かれていますよ。除〇してあげましょう。」とか言われるのだろう。

まあ、憑かれているようなものだ。月曜日に「風景構成画」という描画法の研修があり、統合失調症や様々な事情のある方の絵をたっぷり見せてもらった。火曜は「さてそろそろ」と内心終わろうとしてから相手のエンジンがかかり、さらに小1時間お話を聞いた。その引きとめるパワーにクラクラしかけた。木曜も母子関係がメインの2事例をドクターに入ってもらい話し合った。知らず知らずうごめく情の世界に占領され?振り回されてしまったようだ。
仕事中、同じような姿勢でいるから、それだけでなく、背中や腰に、ぎゅぅぅぅと緊張が入っていくのが最近自覚できるようになった。人と時間を過ごすのは、容易くないな~。
今日は、Saltさんのリコーダー講座に行ってきた。
室生の景色は冬もすてきだ。ラストに「星月夜」という曲を参加者の方と吹いていると、しみじみほっこりした。ことばを介さず、やりとりできる、そういうことが大切だ、重要だ。
私は、こういう時間を過ごすことで教えられ準備されている、そう思えて嬉しかった。
こころの世界は底なしだ。「背中に…」といった類のことばと医学的と言われるカウンセリングも紙一重だ。私は、自分の弱さを示され、その弱さを委ねるしかない。

2011年1月23日日曜日

「私たちの時代」という番組

昨年の年末に放送した「私たちの時代」という番組をやっと観た。石川県立門前高校「女子ソフトボール部」を3年間おったドキュメント番組だ。感動した。「しっかりせんといかん。」と思った。

さあ、明日からまた一週間一歩一歩がんばろう。

存在感

先週は3回、ガスストーブで餅を焼いた。醤油を付けて焼くと香ばしい匂いが教室に充満する。「廊下に出よう。」と一旦あえて出し、もう一度教室に入れると、その匂いの香ばしさをしっかり味わえる。「いい匂い!」とどの子も言った。最近の”サトウの切り餅”は切れ目が入れてあり、ぷく~と膨れる様も分かりやすくて楽しい。妙な期待感を持たせてくれる。
写真のようなガスストーブはやけどの危険で学校では減ってきた。ガスファンヒーターに取り換えられている。置いてあっても教室では網の柵をまわりに置き、近づきすぎないようにしている。餅を焼くためストーブのそばにいると、その熱さがよくわかる。ストーブ自体を触ろうとは思わないし、餅が焦げないように気にしつつ膨れる様をじっと見ていると、その周りでバタバタ走り回る気もしない。神経質な5年女子が醤油を付けた餅をきれいとは言いにくいカーペットの床に落とした。3秒ルールでセーフ、という洒落も通じないか、と口ごもっていたら本人が「大丈夫」と再びガスストーブに置いた。醤油の香ばしい匂いと膨らむお餅の様は、かくも大らかにさせるバカバカしい幸せ感をもたらす。
餅に意識はいくが、それをもたらすガスストーブのなんという存在感。
今朝の礼拝では、某大学の先生が趣味の骨董品の中から”蓄音機”を出してきた。この蓄音機は4色にカラーバリエーションがあるらしいが、4色ともお持ちだそうだ。聞かせてくれたのは、電源を使わず、集音機の前で歌ったものをロウに刻み記録したものだそうだ。ルイ・アームストロングのレコードも聴かせてくれたが、それはマイクに向かって歌ったもので、電源なしの録音を竹針で再生し聴かせてもらうと、またなんとも言えない味わいだった。
その音色に打たれるが、蓄音機のなんという存在感。
最後は、新長田にできた鉄人28号。このわかりやすさにびっくり。通勤の乗り換え駅で、その付近を歩くことはあまりしていなかった。ぶらぶら探索しなくては、ディスカバー神戸、である。
鉄人28号を見上げるが、長田のなんという存在感。
私というものはどのようにあろうと、私にある主の存在感を味わいたい。人さまに分かるように、の前に、まず自分がそんことを知りたい。
ちなみに餅焼きの教育的ねらいは「共同注視とともに五感で感じ分かち合う共有感から心理的安定と対人関係の形成をねらう」「ガスストーブは熱くて危険、でも、チョー便利と知る。」である、と説明しても「そのねらいはなんですか。」なんてつまんない質問をする同業者にはわからんだろうな…。

2011年1月22日土曜日

〇〇危機一発


黒ひげの代わりにのび太の人形を入れ「のび太危機一発!」と大笑い。何を入れるかで盛り上がり、写真で飛び出したのはポケモン人形だった。

今日は2010年の写真を並べみた。

2011年1月18日火曜日

16年目


神戸に震災があったとき、上の娘はあと数日で3歳、下は妻のお腹におり、その年の6月に生まれた。

震災から何年たった、と振り返ることは、娘らの成長を振り返ることでもある。

みんな、一歩一歩、誰に見られずとも懸命歩んできたんではないだろうか。

「優しい春の光のような希望を胸に」と歌う”春の光”は、2月の陽ざしを思い浮かべる。

まだ寒く、冬ではあるが、陽ざしに”春"の輝きを思い浮かべさせてくれる。目に見える現状の中で、見えないものを教えられる、それは深い慰めと思う。

2011年1月16日日曜日

SIGN写真茶話会in神戸

昨日、Y.B.Mさんに無理をお願いした「SIGN写真茶話会in神戸」を行った。

案内には、自主研修「そだちと学びの支援 ~写真活用編~」というタイトルにしていた。「”写真活用”というと授業の資料などに写真をどう使うか、というイメージかもしれませんが、そうではなくて…」とSIGN写真茶話会でのワークショップがY.B.Mさんによって進められていった。

参加者の方が研修内容の予想を裏切られ、その展開にどんどん引きこまれ楽しんで行かれる様子がよくわかった。
前半はSaltさんが撮った子どもの写真からワークショップがあった。「こんな写真を撮る先生ってどんな人と思いますか?」という質問に「おおらか」「子どもをのびのびさせている。」といった評に続いて「私を見る子どもは対”先生”と身構えており、こんな表情はしない。楽しい先生なんだろうけど、一緒に仕事をするとしんどいと思う。」と感想が出てきた。Y.B.Mさんが「こんなふうに子どもと接しているのに『子どもなんて大嫌いや』と言うんです。」と説明すると「本当に嫌いなわけではない、学校という枠の中に入れられてる子どもに対し『嫌いや』と言っているのでは。」と話された方もいた。
そうなるとSaltさん評ではなく、Saltさん的なものに対する自分の思いや考えを個々が語り始めた感じだった。当然と言えば当然、誰もSaltさんを語り理解することなどできない。自分を語る、しかない。
「この先生はことばの人ではなく感覚の人だと思う。」と言われた方もいた。確かにその瞬間は感覚優先で子どもを見ておられるのかも、あれだけことばをつかう人でも。
参加者が自分を語り出すのを受けながら「周辺の情報」「復元」「写真は逆説」といったポイントを話され「休日の学校で子どもの気配を感じるところを撮ってきてください。」と撮影タイムに入った。小雪がちらつく中だったが、みなさん意欲的に校舎を歩き撮影しておられた。

後半は参加者が撮ってきたその写真を一枚一枚観ながら参加者で話し合って行った。
詳しくは書けないが、終わってから送られた感想のメールにはとても楽しかったという言葉と共に”自分を見つめられた”という意味のものが共通してあった。予定は5時終了だったが、最後は6時半になった。5時以降は自由に解散にしたが、半数以上の方が最後まで残って楽しまれた。

私は、SIGN写真茶話会で自分の仕事を見つめ直し、整理され、より自由にされていった。それは私の楽しみ?で、そういった作業をY.B.Mさんのワークショップから感じるか、他のものを感じ取るか、それは参加者各人の自由であり、その人の必要性と関係することと思っていた。しかし、写真の楽しさを”自分を知る”ことそのものの中で感じられているのがわかり、しみじみやってよかった、と思えた。
そんな場を共有した参加者の方々のつながりもとても豊かだった。リードされるY.B.Mさんのスイッチの入り具合にも驚いたが、参加者の方の豊かさにもつくづく感心した。現場で学校らしいことをしっかりさえれている面々だが、その内に「これが本当か!?」という思いを抱えておられることが、よくわかった。もちろん、そいう人たちだからY.B.Mさんのワークショップを楽しめたのかもしれないが。

Y.B.Mさん、本当にありがとうございました。
Saltさん、写真提供、ありがとうございました。Saltさんの写真の意味合いはとても深い大きかったです。
こんな研修をしようという私の動機がどうであるかを含め、そのまま神さまに委ねるのみです。あらゆる人を備え導いてくださった方に、今回の祝福を与えてくださった方に、心から感謝します。

2011年1月14日金曜日

餅を焼くということ

探偵ナイトスクープで以前「洗濯機で餅は作れるか。」というのをやっていた。
確かに餅つき機の動きは洗濯機の底に似ている。とはいえ「え~、洗濯機で!」と思った。番組で実験するとばっちり餅ができた。なぜか痛快で「できるや!」と感心した。

実は写真の子に「ストーブでお餅焼いて食べようか。」と話すと「えっ、ストーブで焼けるの?!」と言われた。当たり前やん、と内心思いつつ「オーブントースターとか、七輪じゃないの。」「ストーブにつくし…」と彼が言うのを聞いていた。

百聞は一見にしかず?、網を置いて焼き始めると、おもしろそうにひっくり返していた。好みに焼いて食べると「こんなに上手く焼けるとは思わなかった。」と言っていた。思い込みを修正する体験は大切だ。自分の学校のストーブと一緒だったようなので「ここだからOK、担任の先生に『ストーブでお餅焼こう。』とか言ったら、呆れられるよ。」と言うと、フフフ、と笑っていた。私の仕事的には、こんな含み笑いのリアクションができることは、とってもよい。

「先生が、子どもの時はストーブに文鎮2本並べて給食のパンを焼いたりな…。」とか40年前の話をしていたら「だから、のんびりしてんのか。」とも言われた。
思わず「………」

2011年1月10日月曜日

トイレの〇様

あっという間に3連休も終わった。

子どもの頃、こたつの一辺を自分のエリアにし、おもちゃ・漫画・宿題・駄菓子を手の届くところに並べていた。当時は練炭炬燵で一日入っていると頭が痛くなった。その頃から寝っ転がって手の届くところに必要な物を置く習癖があり、昨日今日と自分の机のまわりを整理し直し、手の届く範囲にあるものを増やした。 娘が作ったウェイトレスの人形が似合う机まわりになった。

そもそも部屋の片づけが主ではなく、15年以上使っていた温水便座が壊れ、買い換えに量販店に行ったところ、地デジチューナー付きでPCのディスプレーにもなるモニター(HDMI、DVI、D-SUB、D5、ビデオ入力あり)が安くであり、便座とテレビを買ったことから始まった。
温水便座は交換の工事代が1万ほどし、渋っていると「自分でできますよ。」と言われやってみることにした。水道管まわりは極力はずしたくなかったが、付属の管と合わず、いくつかはずして取り替えた。止水栓を再び開け水を送ると、なんとか水漏れがなく「できた!」と嬉しかった。

この程度のことであるが、できると実に嬉しい、自信になる。なにせ機械類や木工類に対する苦手意識はとても強いので。パソコンも前職でコンピューター関係に勤めたからやろうとするが、その経験がなければもっとさっぱりだったろう。小さなチャレンジがうまくいき感謝。

トイレに〇様がいるのではなく、こんな日常に神さまがいる。
私に一日があるということは、こんな私をOKとしてくださっていることでは。
神さまがゆるしてくださっていることを淡々と行いたい。

2011年1月8日土曜日

久しぶりに


教会に声楽家の女性がいたが、フランスに行かれ、そちらで結婚された。

ダンナさんは小学校の先生で、今までも私の勤務校に来て頂き授業をしてもらった。今年は10月に生まれた赤ちゃんと一緒に帰国され、ダンナさんだけを、先日は鶴橋と難波界隈、今日は前任校で行われたとんどをご案内した。

難波を歩くのも久しぶりだった。日本橋方面も行ったが、萌~っぽい店が確かに増えていた。NMB48の場所もわかった。今日の前任校では久しぶりに会う保護者の方に声をかけて頂き、子どもらの成長を教えてもらえ、感慨深いものがあった。ご案内した方は「点火に加わって頂けませんか。」と言われ「今日はフランスの小学校の先生〇〇さんも点火されます。」とアナウンスされていた。炊き出しの豚汁もご馳走になり、とっても温かく迎えて頂けた。本当に感謝で嬉しかった。案内した方にも「とってもおもしろかった。」と喜んでもらえた。

久しぶり、なことにしみじみとした楽しみがあり、ほっこりした。

神さまの恵みと祝福を教えられる。

2011年1月3日月曜日

わたしの目には


2011年が始まった。

今年もさまざまなことがある。一つ一つのことに一喜一憂せず…と言いたいところだが、実際は揺らされ振り回されるようなことが多いだろう。そういう自分の弱さを見ることは二の次三の次のこととして、

「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

と言われた方との関係を最優先に楽しみたい。「ああしたい、こうしたい」「こんなことに備えていく」と他の目標も立てない、考えない。

「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」(イザヤ11:9)

「私の祈りの家で彼らを楽しませる。」(イザヤ56:7)

それが全てではないか。自分が楽しんでいるなら、誰に対して不満も文句もないだろう。

自分に幸せと平安をもたらすものだ、と様々なものを意識的・無意識的に求めてきた。そういった方向を変えたい。