2011年2月26日土曜日

苦笑い

紫のもやを描いたら自分でも気持ち悪くなって伏せてしまった。自分でも苦笑い、なにをしてるんだか。まあ、こうやって自分なりに吐き出していたらすっきりする。

2010年度を振り返り、次へ向かいたい。教職に就いて同じ自分が同じことをしている、という感じが全くない。いつも新しいことを教えられ歩ませて頂いている。
本当に感謝。

2011年2月25日金曜日

2月も終わり…

今週は大人の話し合いが多く、げんなり疲れてしまった。今日はそんな会議もなく、子どもと過ごした。

椅子をたたき壊した子どもではなく”私”に彼も会いに来た。今日はポケモンのエンブオーをプラバンで作って満足気ににんまりとしていた。SIGN製賢者の積み木にチャレンジする子、けったいなビリヤードを楽しむ子、ボールプールから出ている不自然な手、そして、「だから私は学校に行かない。」と言った女の子はとてもいい笑顔で来た。今日は「絵を描く。」というので五味太郎さんの落書き絵本を渡した。私も横で絵を書いたが、例のごとくどんどん…(また、公開します)。私の絵を見て苦笑いの彼女でした。
もうすぐ3月になる。
今年度は何ができたか、何を考えさせ感じさせられたか、そして、自分で判断し行動させられたか。
恵みを数えよう。

2011年2月23日水曜日

こうなると

カエルがこうもしつこくいると…。

今月上旬に会った子は「だから学校に行かない。」と小1時間かけて話した。その子が今週から登校できていると担任から連絡が入った。電話で聞くと本人なりに向き合って乗り越えての登校のようだ。よく頑張った。

上旬に会って、その内容を担任に伝えた。その後、今日まで私は何もしていない。
でも、私が何もしなくても物事はこうして進んでいく。私は待つことが大切な仕事だ。

こんなカエルのくどさはいやだけど、直接あっていなくても頭のすみにくどくいる存在でおれれば。
担任が電話してきてくれたことは嬉しかった、感謝。今週、金曜日には本人にも会う。さて、どんなことがあるか、楽しみだ。

2011年2月20日日曜日

休日のランチ


今日は三ノ宮に用事があり、出かけた。

ビルの屋上に神社?がつくられており、見ると他のビルにもあった。用事のついでにジュンク堂で「共依存~からめとられる愛」という本をベンチで座り読みした。買わなくてよかった。もう一つついでにランチを食べることにした。昨夏、店を探してやっと着くと「3ヶ月ほど旅行に行き、勉強してきます。」と張り紙があり、ますます興味を持った店だ。ボロビルの3階の扉をあけるとお客さんでいっぱいだった。気を利かせてくれた店員さんがはしっこの落ち着く席に案内してくれ、ゆっくりランチができた。キッシュという料理はおいしく、食べてしまって撮ったらよかったと思った。撮れそうな店の隅を一枚撮った。

たまにはぶらっといいもんだ。西は垂水から、須磨、板宿、長田、新開地、神戸、元町、三ノ宮、そして、灘から東は芦屋近くまで、デスカバー神戸はちょっと楽しい。

休日が楽しいと、仕事も楽しい。

2011年2月19日土曜日

よくなりたいか

管政権は何を残すのか?よくもまあ、あんなんで日常が保たれて?いるもんだ。
勝手な思い込みではあるが…
特別支援教育となり「一人ひとりの教育的ニーズに…」と言い出して結構年数になってきた。その歩みでは、知的(重度の自閉症を含む)、肢体不自由、盲、聾、病虚弱、といった障害種別では説明できなかった発達障害児について、その認知と行動知特性の理解から進められていったように思う。
近年、虐待の問題から愛着について説明さえれるようになり、発達障害児についても愛着の形成の視点で児童理解(実態把握)が深まってきた。それは見る・聴くの苦手さ、注意集中の問題といった認知特性の理解だけでは児童理解(実態把握)が不十分で、支援方法も手立てが広がらない現状から必然的に向かった方向である。「人間関係の形成」には愛着の形成は欠かすことのできない知識である。
私は、認知⇒愛着ときて、次は”自立”が特別支援教育のポイントになると思う。
単に、私の理解と関心がそう移っただけかもしれないが。
今週は、思い込みがきつく、100か0で考えることが多く、大きな自己否定感を持つ4年の子とぐったぐたの時間を過ごした。きっかけは、兄弟でDSの使い方でもめることを聞いていたことからだった。思い返し腹立たしくなった彼は紙をやぶり机を小さく蹴って怒り出した。書初が思うように書けず半紙を破り机を蹴り倒す、地図の色塗りがうまくいかないと同じように暴れる、といった話はちょいちょい聞いており「そうやっても解決にならないよ。」と声をかけた。そんなことは百も承知でどうにもならないのが彼である、彼の特性である。
「さっ、じゃあ、ベイブレードの新しいのがあるからやろうよ。」と切り替えさせれば怒りのパニックを回避させられるのはわかっているが、苦手でも根本的に自分の特性を修正しようという意志の必要性に気づかせないとだめでは…と最近思い出した。だから、この日は、切り替えさせる小道具を出さず「そんなことに怒っても、それはきみの都合、きみの都合で弟たちは変わらないよ。」とイライラ話にとどまった。結果、怒りのパニック。
パニックって怒っている彼の前で、私は、突然、椅子を持って立ち上がり、椅子を思いっきり何度もテーブルに叩きつけて投げた。当然、びっくりして私を見ていた。その彼に「きみはこんなことをしている、それが、なんの解決になる?」と聞いた。
その後、ますますパニック。
パニクリながら「こんなボクを誰がほめるねん…お父さんがほめるわけがない…お父さんがほめてくれないと意味がない…ボクなんかダメや…お前がいなければよかったとお母さんは本気で言った…今まで何度死にたいと思ったか…」などなど自己否定のことばを吐いていた。頭を殴ったりテーブルを叩いたり自傷行為もしながら。
「自分を殴ったり傷つけたりしてはだめ」「いいねん。」「じゃあ、先生がはつったろうか?痛くてええんちゃううか?」「自分の体だから自分がするのがわかっていい。」「でも、だめだ、やめなさい。」「ボクの体をボクがすると犯罪にならない。」「きみの体はきみのものであり、きみだけのものじゃない。自分で生まれてきて、ここまで自分で育ってきたわけじゃない。その自分を傷つけるのはお父さんやお母さんに対して犯罪になる。」「こんなボクを好きになるヘンなやつはいない。」「先生はきみのことが大好きだ。だからベイブレードや爆丸の新しいおもちゃを買い、一緒に遊ぶのを楽しみにしている。」「先生がボクを好きになる、そんなヘンなことをしたらあかんやろ、しっかりしんとあかんやろ。」「心配、ありがとう、でも、これでも先生は結構いい先生と言われていて、きみのことが好きだからヘンなどと言われることはない、むしろ、だからいいと言われる。」
などなど自傷行為を止めながら腕をとったり抱きついたり抱きしめたりしながら話し合った?
40分はドタバタし、しゅーとしぼんだ彼は、ポケモンの本を10分ほど座って読み学校へ行った。
「死にたいなんていうな、言うたらあかん。お前は大丈夫。」
私の熱意など何にもならない、むしろ、暑苦しいおせっかいは害だ。彼を導かれるのは神さまである。この方に期待して、願って「お前は大丈夫!」と言い切った。
支援は必要です。しかし、自分で向かうべきことまで人にやってもらうことはできない。
38年もの間病に伏せている者に「よくなりたいか。」と言われた主を思う。
どんな人でも自分でやらなければいけないものがある。やらせるのが支援だ。
そういうスタンスに私が変われるか、私も主に問われている。
下の写真は別の6年男児が書いた。
3月最後の通級で卒業お祝いの会をし、母親に感謝の手紙を渡す。面倒くせ~と吐き捨てながら、泣かせることばを書いている。家族に感謝し、きみの道のりを自分で歩み頑張ってほしい。
彼らといつまでもかかわれない。始まりがあり終わりがあるから、いいんだ、と思う。
私は、いなくなるから活かされる、そういうかかわりをしたい。

2011年2月14日月曜日

付け睫毛とピアス

職場の同僚に女の子が生まれた。おめでとう!
あのふわふわで乳臭い赤ちゃんを思う存分抱っこできるのか、と思うと心底羨ましい。

我が娘らは中3がポップティーンだかに出ているナーチャン?というモデルに憧れ、垂れ目系の付け睫毛をし、高3は「皮膚科に行って来る。」というのでカイカイの薬をもらいにか、と思っていたらピアスの穴をあけにいっていた。ウゲ~痛くないのか!

抱っこしてチューしてお風呂も一緒に入って…「お父さん、お父さん」って言ってたのに…。
進学先も結局自分らが言い出したところに二人ともした。

至らなかったが、精一杯愛着を形成させたつもりだ。ここからは自立を見守る、だ。付け睫毛とピアスも見守る…打ち砕かれながらも自分で立つことを学べますように。
神さまにある本当の自立へと歩ませてやってください。

2011年2月11日金曜日

さて、どうするか


雪が降る中、午前中にジムへ行き、汗を出した。いつもはジムのお風呂だが、今日は天然温泉の銭湯へ行った。先日、回数券を買ったので、ジムとセットコースを試してみた。

露天風呂に入りながらちらつく雪を楽しむ予定が、ジムを出た頃には雪がやんでいた。それでも、湯気が半端なく出ており、温泉情緒がたっぷりだった。12時前に入ったので、こんな時間に来るやつはおらんやろ、と思ったが、駐車場もいっぱいで同じようなオッサンがだぶっと湯につかっていた。

帰宅し昼食をとってから半額の150円で借りたDVD「RAILWAYS」を観た。おととし島根に行き一畑電車に乗ってから松江っていいな、と大好きになり、ぜひ観たいと思っていた。途中で、ひーん、と泣いてしまった。モロ、男の願望で泣かすところも定番だが、まあいいか、とハンカチでぬぐいながら観た。

そんなわけで、たっぷり休日を楽しんだ。仕事もたっぷりではないがあるので、やっていく。

私は、仕事上、発達障害に関わる教育相談業務をしている。昨日の研修では、職業センターの方から就労についてお話を聴いた。京大出の方が発達障害で療育手帳を取得され、その枠での就労を相談されているらしい。まれなケースとはいえ、何それ、という感じがした、してきた。

理解されず不当な扱いを受けることには、正すべきものがある。しかし、その苦手さや困難さは庇護されるべきものか?というか、苦手さや困難さを受け入れ分相応に生きる努力を誰もがするのではないか。私は、発達障害がある子らのケースに向き合うが、その苦手さと困難さを受け入れ、その上で自分なりにやろう、とする子でないと、なんの助けも支援もできないな~とつくづく思わされる。「自分なりに、自分でやろう。」と気づけるように見守る、「こんなんしてみたら」と何か用意する、その程度でしかないような…。その程度だから、時間も労力もかけてやらしてもらえるような…。

自分とは何者か、という問いを「発達障害があるから」とごまかす?すりかえる?のはおかしい。発達障害がある、ということが、自分はどう生きるか、の答えになるわけではない。誰しも理不尽なことに向き合い、自分なりにおとしどころを見つけなければだめだ。そうでないから、いくつになっても人のせいにする者がいる。

そんなこんなで、私は自分の仕事で出会い人たちとどう向き合うか、あらためて

さて、どうするか … である。

2011年2月10日木曜日

毎日〇〇さん

仕事場の保護者待合室用に本を買った(もちろん予算執行だけど)。
講談社だったか、健康ライブラリィーというシリーズもので「チックとトゥーレットがわかる本」(だったか?)などわかりやすいものがあったので、まとめ買いした。
その中に西原さんの「毎日かあさん」とバカボンドウの作者がかいた「リアル」という2種類の漫画も入れた。子ども用じゃなくて保護者向けに…。

漫画が好きで、立ち読みも電車内読みもしていたのに、ここ数年、古本屋で買う文庫本にはまり(とにかく安上がり、漫画を読むより日持ちするし…^^)、漫画を読むことが減っていた。
今度の3連休は「毎日かあさん」の①~⑤を読みます。
そうそう「いけちゃんとぼく」というのも買っており、楽しみです。

2011年2月5日土曜日

マイペース

学校へ行く、教室で楽しく過ごす、そういった日常の流れに乗れない…、
要するに、器用にはやれない、ということではないか。
昨日は小5の女の子が友達とのことを小1時間話してくれた。
「昨日、大丸に行ってきてん…」
「私のポンポネットやのに(なんであの子が着てるの)…、ファミリアはあきたわ…」
なんて発言が頭にきてたまらないくなったそうだ。ちなみにポンポネットやファミリアは子ども服のブランド名。きっとかわいいおしゃれな服なんだろう。仲がよかったと思っていた友達が私のことを下に見たようとする…そんなお話だった。小5であっても人の悲しさは一緒である。
私は、
「自分は愛されており、私でよい。」「私はやりたいことがある、あるいは見つけようとしている。」この2つを大切にすることが大事。そう考えない人は、誰かを見下さないと自分が大丈夫と思えない、人が「いいね、すごいね」と言ってくれそうなものばかり気にして追い求める、そんな人になります。あなたは「自分が愛されてる」「自分がしたいことを求める」を大事にしているから、誰かを見下そうとしたり「すごいね。」と言って欲しそうにしたりする人のことが気になるし理解できないんだよ。そういった人(考え方)とは、まだまだ戦っていかなくちゃいけない。
とメモで書きながら最後に話した。
日常で、えっと思うことを聞き流すのは、結構、器用でないと実はできない。
”ガスストーブセラピー”では、ぜんざいを食べた。結構、いけるじゃなあいか…。
不器用な子たちよ、がんばれ。きみたちの感性は間違っていない、でも、甘えてはいけない。
器用になる必要はないけど、負けない生き方を身に付けよう。いじけて学校を休んでいる場合じゃないよ。迷惑をかけるのとは違う「マイペース」を身に付けよう。