直接子どもを指導するわけでもなく、当日ビデオ係で参加する程度にもかかわらず、加齢とともに涙もろくなったとはいえ、こんなに泣けた音楽会は初めてだった。
4年前にこの学校へ赴任したときは「なんてぬるい、いい加減な指導をしているんだ…」とびっくりした。
案の定翌年には子どもの荒れが噴出し、たいへんなことになった。今までのいい加減な取り組みのツケを負わされているように感じた。子どもの荒れや保護者の訴えに振り回されながらも「急によくしようとしても無理。2、3年かけて学校を変えよう。」と励まし合って対応していたが、私自身、よくなった学校のイメージを抱きにくかった。それでもそう言って地道にやるしかなかった。
音楽会前日に3年前からの音楽会の記録ビデオを見直していた。当時を振り返り、誰が悪かった、という話では正しく捉えられないものがあると思った。教師も子どもも保護者も怠惰な流れに知らず知らず流され、荒れをゆるしてしまう。この荒れを生む悪しき流れは、通った者でなければ気づけない分からないものだ。人から教えられるものではなく自らの経験でしか学べない。
子どもらの演奏はすばらしく、「勝った、勝った」と思いながら聴いていた。この悪しき流れからの勝利のように思った。3年という年月がなければ育たないもの、学べないものがある。
エンディングの歌を歌う何人も6年生が泣いていた。それだけでなくギャラリーから一緒に歌う5年生の子も泣いていた。保護者は体育館の外で花道をつくり、出てくる子どもらを待って拍手を送った。最後の最後にこっそり出る私にも拍手をくださった。
子どもらの涙や保護者の方の拍手を見て、この3年、荒れる子どもらを見てしんどかったのは教職員だけでなく、そういう校内で過ごさざるを得なかった子どもらも、それを見守る保護者も、ことばにできないしんどさがあったんだな、と気づけた。そういうしんどさや重苦しさから解放された喜びの拍手のように感じた。
この世には様々な義や美がある。それらには全て、霊的な型があると、つくづく教えられた。
この世に示される義と美から、神を賛美し感謝し、いっさいの栄光を神に帰すのがふさわしい。
それを神以外のものに栄光を帰そうとするとき、悪しきものが生じる。
この分岐点こそが鍵と思う。
平凡で、淡々と過ぎる日常の中で、この分岐点を静かにおぼえ、当たり前の生活を送りたい。
いやあ、感動的ですね。音楽は子どもたちを劇的に変えます。
返信削除私のささやかな経験からも、荒れの本質は、荒れている子の心を見ないで、問題行動だけを追いかける周辺にあると思っています。
誰もが「そんなことぐらいわかっとるわい」とみんな言うでしょうが、私はわかってないことが多いのです。
たかが小学生が荒れるのには、「荒れずにおれぬ理由」があるのです。それと向き合う前に正そうとするから、また、わかったふりしてスルーするから、よけいに荒れるのです。
センセイたちに荒れに向き合える感性や経験がないのだから仕方がない。こればっかりは、真面目に考えても無理です。
「子どもをわかる」人がいれば、絶対大きな荒れにはなりません。
今回のケースは、どうだったのでしょう。それだけのうんざり状態からどうやって感動の音楽会につなぐことが出来たのか、興味があります。
選曲や練習方法、指導内容を含め、様々な周辺の連携がないと、そういう風にはならないと思います。
とにかく、良かったですね。お疲れ様です。
本当にすごいね!
返信削除職業柄何度となく音楽会は経験してきたけど、そこまで感動したことは、幾度か経験した卒業式ぐらいです。
全ての人が成長した姿に感動できるなんて、その場におれるなんて、やはりここが
「教師、やめられまへんなー」って言うとこですかね。
Salt氏が書いたことを胸に留めつつ、明日からもなかなか手ごわい初任者のクラスに入り込みます。
(またビデオよければ見せてね)
経験したあかしは、いつも力があります。
返信削除主がソドムとゴモラのときも「私は見たいのだ」
と、言っている。全能の方が、噂だけでなく知っているのに、実際に降りてきて見たいという気持ち。
イエスが笑ったとは聖書に書いてないのですが
イエスが泣いたとは何度かあります。
げんばにいたからこそ流れる涙があります。
お疲れ様でした。
そして、またお願いします。
3年前と昨年の音楽会のビデオ記録を部分編集し、今年の分と合わせて音楽専科の先生に渡しました。
返信削除今年だけ見れば、これが当然と思われそうですが、3年前を見ると田の方に今年につなげる一歩一歩の意味を考えて頂けるものと思います。
「小学校で音楽専科をする、ということは、音楽だけを教えるんではない、子どもを育てる中に音楽がある。」と彼は言います。3年前の音楽会の後は「六甲おろしから始め、「この子らとする音楽をやりなおした。」と話していました。
彼だけでなく、荒れる子らのクラスを3年連続で担任した先生、誰かがやらなくてはいけなかった”負け戦””敗戦処理”を粘り強くした彼こそ影のMVPと伝えました。
取り組みを理解されず異動を命じられた方や、よくなる兆しを見ながら移動せざるを得なかった方、新しく来られ過去にとらわれない流れを作った方、一人一人の同僚の地道な取り組みに深い意味があったと思います。
私は、直接できたことは少ないですが、そこに置かれ、こうして学ばされたことに主の意図を感じています。
本当に感謝です。