国々のいっさいの権力と栄光は、サタンの思うままのようだ。
先日、Saltさんのリコーダー講座にお邪魔した時、雑談の中で「無名のアーティストが売れるかどうかを見抜くポイントは、曲のよしあしではなく、声やルックス(ヴィジュアル)だ。曲は他のものが作ればいいし、歌もうまくなる。」と言われていた。…なるほど、華とか、オーラとか、確かにそういったものを放つ人がいる。
別に芸能人やプロスポーツ選手や政治家でなくても、人を惹きつけるものを持つ人がいる。
そいうった惹きつけるものに、どれだけのリアリティがあるのだろう。
きつねやたぬきにだまされる、と同じように、まやかしにあっている気がする。
サタンから権力と栄光を受けて…、というと、おとぎ話のようだけど、そんな話に逆に妙なリアリティを感じる今日この頃だ。
私のは身の丈の生活の中でキリストのいのちを教えられ、そのリアリティにいたい。
サタンに見込まれると大変です。
返信削除恐らくそういう運命を担う人たちは、革新的に霊的な取引をしているのだと私は思っています。
恐らくそれは人にとって抗いがたい誘惑なのでしょう。みことばをもってしか打ち勝ち得ないものです。
栄光はイエスだけにあるべきなのです。
認められたい、評価を得たい、とひっそりでも思うところから、間違って行くように思います。
返信削除そういう動機ではじめることは、どんなに立派そうに見えても本当の祝福をもたらさない。
火の試練、とは傍目に見て「たいへん、きつい」とわかりやすいことばかりでなく、日常の気づかれないような選択の機会の中にもあるでは。
栄光がイエスにだけある、と教えられるときの感謝と喜び、それは「キリストの平和があなたがたの心を支配する」ことだと教えられます。
今日も主の御手にあることを覚えたいです。