2010年11月9日火曜日

リアリティ


それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。(ルカ4:6)
国々のいっさいの権力と栄光は、サタンの思うままのようだ。
先日、Saltさんのリコーダー講座にお邪魔した時、雑談の中で「無名のアーティストが売れるかどうかを見抜くポイントは、曲のよしあしではなく、声やルックス(ヴィジュアル)だ。曲は他のものが作ればいいし、歌もうまくなる。」と言われていた。…なるほど、華とか、オーラとか、確かにそういったものを放つ人がいる。
別に芸能人やプロスポーツ選手や政治家でなくても、人を惹きつけるものを持つ人がいる。
そいうった惹きつけるものに、どれだけのリアリティがあるのだろう。
きつねやたぬきにだまされる、と同じように、まやかしにあっている気がする。
サタンから権力と栄光を受けて…、というと、おとぎ話のようだけど、そんな話に逆に妙なリアリティを感じる今日この頃だ。
私のは身の丈の生活の中でキリストのいのちを教えられ、そのリアリティにいたい。

2 件のコメント:

  1. サタンに見込まれると大変です。

    恐らくそういう運命を担う人たちは、革新的に霊的な取引をしているのだと私は思っています。

    恐らくそれは人にとって抗いがたい誘惑なのでしょう。みことばをもってしか打ち勝ち得ないものです。

    栄光はイエスだけにあるべきなのです。

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  2. 認められたい、評価を得たい、とひっそりでも思うところから、間違って行くように思います。
    そういう動機ではじめることは、どんなに立派そうに見えても本当の祝福をもたらさない。
    火の試練、とは傍目に見て「たいへん、きつい」とわかりやすいことばかりでなく、日常の気づかれないような選択の機会の中にもあるでは。

    栄光がイエスにだけある、と教えられるときの感謝と喜び、それは「キリストの平和があなたがたの心を支配する」ことだと教えられます。

    今日も主の御手にあることを覚えたいです。

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