2010年10月31日日曜日

生きるということ

今日の礼拝では、司会をすることになっていた。
いつも遅刻気味な私も、早めに教会へ行った。すると、年配のご婦人が話で盛り上がっている。
そばで聞いていると…



私は昭和20年6月5日の神戸空襲にあった。灘から舞子まで歩き、三ノ宮あたりでは焼け焦げた遺体が何体も転がっているのを見た。舞子に着くと靴がやけてなくなり、ひどいやけどをおった。赤チンしかつけるものがなく、そんな処置でほっていた。

数日後、満州に渡った。終戦2ヶ月ほど前だったが、そんなことはわからない。結局、満州で終戦を迎え、帰国することになった。しかし、日本が負けたことで北朝鮮で汽車から強制的に下ろされ小学校に収容された。そこへ、ソ連軍が来るとなったので、みんな山の中へ逃げた。結局、1年間、山の洞穴で暮らした。その間、情け深い北朝鮮の人が握り飯を持ってきてくれるなど助けてくれた。「日本が悪いことをしたのは、上の人間で、あなた達も戦争の被害者だ。」と助けてくれた人は忘れられない。当時、北朝鮮の大人は朝鮮語だが子どもは日本語だった。親が子どもに教育ができないので、私に数学など教えてやってくれ、と言われ、そんなこともできた。

北朝鮮に1年ほどいて、ある日「間もなく漁に出る。その船に乗って玄界灘の島に下ろしてやるから乗らないか。」と言われた。木造の帆船の魚を塩漬けにする50㎝あまりのところの隙間にみんな入り、海に向かった。3隻の船にそれぞれ100人ほどが乗っていた。ところが台風が来て、その3隻のうち2隻が沈没してしまった。私が乗った船は、なんとか島に着き、私たちが下りると、あっという間に船はいなくなった。船を出してくれた人も見つかると処罰を受けるからだ。

しばらくするとジープが来た。私たちのことが通報されたのだ。私たちはソウルに連れて行かれた。そこから佐世保へ帰ることができた。

神さまは、いつも共にいてくださる。今、私がこうしているのは神さまのおかげです。

と話された。
礼拝前、ほんの10分ほどの間のお話である。びっくりした。平和学習の授業でもお話しして頂きたい内容だが、そんなことより…

懸命に生きられ、今日の日本をつくってくださった世代の方だ。もちろん無名の方で、こんなお話は世間話のように話される程度で、生きて来られたのだろう。「神さまがともにおられる。」という一言に、神さまがおかれた時代・社会を生きるということの深さを教えられた。

私も、神さまはいつもともにおられる、と教えられたい。

5 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

    返信削除
  2. meekこと和嗣です。僕も仕事がら戦争体験のお話は日常的によく耳にするのですが、これは強烈な体験のお証ですね。大体終戦数カ月前に満州にいくなんて死ににいくようなものですが、当時の国民にとっては未だ「空襲で苦しむ内地よりも、満州に行けば希望が、、、」と思われていた(国にだまされていた?)ようですね。昨年職場でアラウンド100歳の4人グループがありましたが、今年にはお一人のみで3名の方とはお別れになってしまいました。とてもつらいです。でも101歳の方はますますお元気です。主にある高齢の方々がますます祝され、主が用いてくださいますように、また若い世代がそこから学ぶことができますようにと願っています。

    返信削除
  3. 時間の経過と共に中国人残留孤児の方々の話が薄れている近頃ですが、この朝鮮の方の言葉を聞いても、しょうがなかったとはいえ自分で選んできた人や親が置いていった日本人の子をよくあの時代あれだけ沢山養ってくださったと感心します。
    日本人ならとか言う前に自分ならどうだろうかと考える。
    国家間の事はそれはそれで、人として朝鮮の方々や中国の方々にはその事を忘れないようにしたいです。
    テレビやメディアで中国の悪口や北朝鮮をバカにした報道など見るにつけ日本を悲しく思います。

    ただどんな時でも
    神が共にいてくださることは本当にすばらしいですね。

    返信削除
  4. 私の学校は夜間中学と隣接しています。

    そこに通っている生徒さんたちの強烈な生き様から日本という国の見過ごしには出来ない語られざる歴史を思います。

    そして、人が生きるということ、学ぶということ、教えるということ、つながるということを考えさせられるのです。

    「不毛地帯」も主人公の戦争体験が背景にあって、陰影のあるドラマになっていましたが、TVでの不人気は、作り手と視聴者の体験や感受性のズレの結果だと思いました。

    まだそうしたズレが起こるうちは良い方で、そのうち受けるものばかりのプログラムで埋め尽くされるでしょうね。

    返信削除
  5. 国とは、何のか?と思います。国、とまで広げなくても身近な組織と個人の関係でもどうしてそうなるのか、と思うことがしばしばです。
    この世で義を考えるからおかしくなるのかもしれません。
    組織や団体、そして国に「それでいいのか」と思っても、そこに義を築こうとうすることとは別次元で考えるべきなのでしょうか。

    Saltさんの「逃れの町」のメッセージを興味深く聴かせていただきました。
    Meekさん、電気屋さん
    私は私で主との関係を第一に歩めるようにお祈りください。

    返信削除