2010年10月27日水曜日

役割

今日はルーレットをした。ギャンブルだ。
私はギャンブルが苦手、賭けごとはダメ。そのおもしろさ?を伝えることはできない。でも、こどもとときどきルーレットもする。もちろん、こんなものはギャンブルと言えず、文字通り”子どもの遊び”であるが。
神戸のたいていの小学校が、音楽会に向けてピリピリ具合はピークになろうかという時期に、私はのんびり子どもとルーレットをしている。でも、先生たちに「どうしたらいいでしょうか?」と聞かれれば「そうですね、○△%□・・・」と何かしゃべる。

聞かれている内容に対し直接答えることと同時に、その先生たちに、自分自身について何か気づいてもらえないかと思い、ぐだぐだでも話し合ってみる。
聞いて来られることと、本当に気づくべきことは別だったりする。
発達障害の子について相談される中で、私ももちろん、親も先生も、みんな、いろいろなことを再考している。
結局、自分で気づいたことでなければ生きた行動にはなかなかならない。
その気づきは、つまんない知恵では生まれない。

7 件のコメント:

  1. ホンマですね。

    自分で気づいたことでなければ、生きた行動にはなかなかならない。

    気づく感性、気づく知恵が大事ですわ。去年は新任に張り付いて、言わば「気づかせる」仕事だったわけでだけど、いろいろ言い得ても「生きた行動」に結びつく例はまれです。

    そう言えば、明日もある親に気づきを与えるための面談が待っているなあ。

    返信削除
  2. こう考えてみると
    私たちの主は本当にすごいですね。
    待つときは何もないかの様に遠くから見るだけ
    ここぞというときに、これだというものを、ちょうどな分だけ用意してくれる。

    クリスチャンになって数年は、「それでもきづいた私にも少しの価値はある」と思っていたのですが、後でよく考えたら、私が気づくぎりぎりを設定して「よくやった」とほめるための作戦?

    自分の戦術をほめて欲しい私も、主を見習いたいなー

    返信削除
  3. 私たちの主はすばらしいですよね。

    「主よ、どうすべきですか、どういうことでしょうか?」
    と問えることが、すでにどれだけの恵みか。そう思います。

    今日は
    「銀じ郎さんは、えらそうぶらないからいいですね。」
    と言われ
    「ヘン○イぶっても、えらそうは”ぶらない”」
    と言うと
    「ヘン○イもぶってるわけじゃ…」
    と言われてしまいました。

    妙な気づきでした。

    返信削除
  4. それは、素がヘン○ィだと見破られてるんですね。

    返信削除
  5. はい^^

    最近は、以前に比べ素の自分を出していると思います。
    取り繕う元気が歳とともに衰えてきたのかな~、でも、自分の楽さばかりで、人の幸せに役立てることを考えないようになることは避けるように努めます。

    Saltさんのブログにあったことは、本当ですよね。
    自分自身はもちろんですが、学校教育という立場で、いろいろわけのわからん責任までとらされるようになり、防衛から「子どもの幸せ」を2の次の考え出して、ますますわけがわからんことになっているように思います。

    きついトラブルで「学校の責任を超えている…」など加害者的立場の子に責任をとらせようとする流れになったとき、「(加害者的立場に)この子にとって一番いい対処を考えてやりましょう。」と言われた先生の言葉にはっとしました。
    自分らの幸せを考えだすとおかしくなって、みんな不幸になってしまいます。

    自分が素であることと他者が幸せであること、やわらかく教えられる者でありたいです。

    返信削除
  6. 素がしっかりしてるから、トッピングも生きてくるんですよね。

    ラーメンも一緒。

    ほどよく味のしみた煮卵と厚めのチャーシュー2枚としこしこメンマくらいが、ちょうどいいなあ。

    返信削除
  7. 私はメンマが苦手なので、メンマのかわりにちょっと多めのネギがいいな~。

    脂が気になりひかえ目のラーメンですが、無性に食いてぇ~、という気分になっちゃいました。

    返信削除