2010年8月1日日曜日

いなくなるから取り入れられる


北山修を取り上げた「最後の授業」というNHK教育の番組を観た。録画していたので4話を一気に観た。
「帰ってきたヨッパライ」で一躍時代の寵児になった氏だが、1年ちょっとでマスコミから姿を隠し、その後は精神科医として活躍された。
家族や友人に聴いてもらおうと300枚だけ作ったレコード(帰ってきたヨッパライ)が、自分の手元を離れ、独り歩きしていったこと。自分が曲を作るときは、この人に、と極めてパーソナルなものとして作っていたのに、そのパーソナルを変えてしまうTVなどマスコミについて。パーソナルな世界を生きる精神科医、こっちのほうが絶対面白い、だからマスコミで生きることを辞めた、など前半2話で語られた。
後半2話は、精神科医として、セラピストとして、の内容になっていったが、母子の愛着関係など学んでいる私にも興味深い内容で、しかも平易なことばで解説されており、よかった。
4話の最後は九大での最後の講義での言葉
「いなくなるから取り入れられる、いなくなるのも教師の仕事です。私はこれで去ります。」
だった。
ああ、とじ~んときた。
愛着者のイメージが内に住む、内在化することが、愛着関係には重要である。
北山氏の言葉でいうなら、いなくなるからこそ愛着者のイメージを取り入れられる、内在化できる、ということである。まさに、その通り。いつもいつもお母さんがそばにいては、見えないものをイメージとして内に育てる訓練を必要としない。いないからこそ、見えないからこそ、内にイメージを育てるのだ。
主は「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。」(ヨハネ16:7)と言われ、御霊によって私の内に住まわれる主キリスト・イエスについて話された。
主の真実を強く感じた。
私の仕事は、終わると成功、といったものである。
何がしかの困難や問題があり相談に来られるので、その困難や問題が一応の解決すると、私のところを去って行かれる。だから、単純に言えば、終わるということは解決・成功で、続くと未解決、ということになる。
あくまで家族との関係や担任など学校との関係を支える”縁の下の力持ち””黒子”と理解していたが、もう一つ自分の立ち位置がすっきりしないことがあった。
しかし、「いなくなるから取り入れられる」という言葉はぴったりくる。
家族や担任など教師とは、ちょっと違う価値観で、違う角度から、子どもに向き合える私を、子どもがうまく取り入れて自分で歩き出すことを願うのである。私が発するものを子どもが上手く取り入れるには「いなくなるから取り入れられる」のだ。まさに「終わるのも、やめるのも、私の仕事」である。
一つ一つのケース、相談には、到底私などが抱えられない問題がある。
ある同僚が「神戸市の半分の子どもたちをみる責任が私にはある。」と言うのを聞いて内心「バカじゃなかろうか。」と思った。どうして人のことを抱えられるのか。
割りきらなければできないものがある、と思ってはいたが、この夏、ゆっくり主に問いたいと思っていた。一つ一つは偶然ではなく、主によって出会うこととなった方である。主の取り扱いと思いを教えられたいと思った。そうすることで「割り切る」という自己流の方法ではなく、もっと自由な方法で仕事に向かえると思っている。
人の評価や目先のこと、時代や社会の流行、そういったものとは違うスタンスで私が仕事をすることは、今の私に、主がゆだねてくださったこと、と思っている。
約束と勝利はゆるがない、でも、一つ一つ教えられ、主の安息に導かれるには、主に問い、主を信じて歩まなければならない、ように思う。

6 件のコメント:

  1. 情報ありがとうございます。
    (再)教育テレビ  8月2日(月)~5日(木)前5:35~6:00
    で録画して見てみます。また後日コメントします。

    返信削除
  2. 番組は、すでに本としてもみすず書房から出版されているようです。
    要チェックと思い、今日、本屋をのぞいてみるつもりです。

    人のこころを探ろう、把握しよう、癒そう、なんて、どうにも不遜過ぎる気がします。軽々しくカウンセリングなどと言われたくなし、言いたくもありません。

    でも、発達心理学など祈りつつ学ぶと、実に大切なことを教えられます。
    主が人に語られる、人にかかわられる、福音のすばらしさを再確認することが多いです。
    こういった作業は、私が仕事をする上で、自由を与えてくれます。
    平安と自由と安息があるからこそ、向き合えるものと思っています。

    北山さんがコンサートで「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌う場面があります。うまいんです。60歳過ぎて、しゃらっと歌えるなんてカッコイイですね。

    返信削除
  3. 確かにパーソナルなつながりこそが大事だし、面白いのです。
    我々の仕事はなかなか悪くないです。

    マスメディアは全ての価値を量的にはかりますからね。そこが問題です。私の音楽活動もまんざら悪くないです。

    返信削除
  4. ほんとうに素敵なことと思います。

    私なんぞを、ときどき音楽で迎え入れてくれますよね。
    贅沢なことだな、とありがたく思います。
    野田さんやフルーティKさんやスーさんが、おしげもなく演奏してくれるのもそう。

    そういうことが、さらっとできるのは、それらの人にとって音楽がパーソナル・コミュニケーションだからでしょう。

    確かに、なかなか悪くないです。
    今日から一つの仮説?見立て?計画?をもってあるケースに向かいます。来年3月には「さよなら」するケースです。
    深くかかわりながら、いなくなるから取り入れてもらえるような関係になるか。

    焦らず楽しみます。

    返信削除
  5. 坂崎幸之助がMCで名曲ベストで1位「あのすばらしい、、」のとき
    何も苦労せず曲が出来たと、
    ベスト10内にもう1曲入った「花びらの、、」と
    合わせてわずか15分という制作時間だと笑っていた加藤和彦さんが「もうあれ以上いい歌が出来ない」と軽井沢で首を吊る。
    あの収録時は北山さんもまだ知らないだろうが、周りは覚悟の自殺と知っていたので彼も、わかっていたかも知れない。
    まさに表と裏の人というものの心を見るようですね。

    「人の口は深い泉のようだ」と言葉にあるが、
    その源はさぐりしれないものがあるのだろう。
    自分でも気付かない裏の自分を、見極める仕事
    それでも
    どうなのだろうか、神を知ることがないなら「月夜に提灯」なのかもしれないと、思ったりもした。
    しかし、自分の立ち位置を知らせるという意味においてはとても大切なサインだとも思います。
    もう少し頭の中で整理する時間が素人の私には必要なのでしょうね。

    ”60歳過ぎて、しゃらっと歌えるなんてカッコイイですね。”自然ないかんじでしたね、俺って上手いだろう的な臭さがなかったですね。

    「いなくなるから取り入れられる」これは真理ですね。銀じ郎さん楽しみです。では取りあえず見たご報告でした。

    返信削除
  6. 神を知ることがないのなら…本当にそうですね。

    主と祈りの中にこそ自分を見極める、という作業があると思います。
    信仰がなくても良心的?な人は謙虚に真摯にその作業をしておられます。信仰を持っている、と言いながら謙虚さも真摯さもない方も…。私が人のことを言えるわけがないので。

    本も買って読みました。面白かったです。

    私も仕事を大事にします。仕事を通じて主との関係をいろいろ教えられ示されるからです。

    結構、いい夏です。

    返信削除