2010年3月13日土曜日

主のまなざしの下で

今日は午後から発達障害に関心がある保護者10数名にお話しする。1月に依頼があったところから再度依頼があり、別のグループにお話しすることになった。「好評でしたので…」と言っていただいたけど、実情は講師選択に困り…だろう。前回、とてもよい経験になり、できればもう一度と願っていたので、依頼があり、話せることを楽しみにしている。感謝。

常日頃、学校の先生は子どもを人質にとっているから、といじわるなことを言われるが、前回、私がかかわってない子どもらをもつ保護者らに話すと、実に遠慮ない感想や意見が出た。「ああ、直接担当していなければ、こういう感じで話されるのか…う~ん、確かに人質?にしているとしていないでは違うかな。」と内心思った。さて、今日はどんな感じになるか。

今日の予定は1月ほど前に決まったが、今週は実にいろいろあった。そのいろいろを経て、今日私はお話させていただく、というスタンスを素直に出したい。自分が受け持つケース(子どもと保護者)に向き合うことには、必ず自分を見つめ直す作業を伴う、と話してくださった先輩がいた。実に、その通りと思う。ケースについて語ると、語るその人自身が見える。それは隠しようのないものだ。
今週、担当するケースに向き合う中で、やはり自分自身を見つめ直された。この自分を見る、というやっかいな作業を、素直にシンプルにやろう、と思えるのは、主のまなざしの下で行うこと、と思えるからである。

私は、Ⅱサムエル16章にあるシムイののろいを受けるダビデのシーンが好きだ。「これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。」「主は私の心をごご覧になり、…私にしあわせを報いてくださるだろう。」自分の情けなさや愚かさに気づかされようとも、主にうつる自分には望みが与えられている。主に対して素直で単純でいたい。

お話しするテーマは「愛着の形成と人間関係の形成」
前回「先生のお話では、発達障害の子の問題は親の子育てのせいではない、と言われるのに、親の責任と言われているように思いました。」と正直に話してくださった方がいた。
今日は「親の子育てのせいではない、が、親の責任がないわけではない、親は子どもに与えるだけでなく、たくさんのものを受けている、その関係が築きにくい親子のしんどさを再考しましょう。悪者さがしではなく、どんなしんどさに向き合っていくのか、どんな慰めや励ましが必要なのか、再考しましょう。」というのが、メインテーマだけど。さて…ここからあとは、お楽しみ。主の導きを感謝します。

5 件のコメント:

  1. どこまでが先天的な機能障害でどこからが生育歴による二次障害なのかの見極め、切り分けは至難の技だと思います。

    親が子育ての責任を逃れることは出来ないけれど、親が全責任をかぶることはない。

    私は母親の責任を語る前に、父親の責任と学校や社会の責任をいつも明確にしてあげるようにしています。

    そうすると、母親は相当心が軽くなるようですよ。

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  2. 的確なアドバイス、ありがとう。
    2時間弱で、なんとももどかしさが残りましたが、よい経験をさせていただきました。

    直接子どもを担当しておらず、そんな保護者から出る学校に対する思いには、そんなことはあちらこちらにあることと分かっているつもりでも、そんなもつれを放置しておくなよ、とイラっときました。

    特別支援教育、とは名ばかりで過剰な要求まで当然のことと思わされている保護者が感じる苛立ちや、些細なことでも学校に伝えにくい不安や、そういったものに答える公立学校の上手な広報活動が必要と思いました。

    ワークショップを2つ入れ、40分の予定が50分になり、大いに反省。でも、お話ししたかったことは、もう10分は欲しかったな、ほんとは90分コースだな~。
    いつからこんなにおしゃべりになったのだろう。

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  3. 親が過剰な要求をするのは当たり前だと思います。私の経験だと、要求過剰な親の方が、学校への依存や信頼は高い傾向があります。

    もし彼らが10の要求をすれば、そのうち1か2でもキチンと誠意をもって応えてあげればいいのです。そうすれば必ず態度は変わります。

    そうすると意外に次の要求は残りの8ではなく、次の3か4の話になるのです。こちらがそう持っていくわけ。

    3つめのことを実現するためには、ご家庭でもこれこれの協力をお願いしますと・・・・

    出来もしないで、綺麗事を言ってはぐらかすと関係はこじれるんでしょうね。学校としての間抜けな答弁は親をイライラさせます。責任が何処にあるのかわからんと、宙に浮いたような話にしかならないのですね。だから結果として「放置」になってしまう。

    妙な言い方ですが、今の学校の力では「広報」には限界があります。まさに放置新聞が出回る。

    こっちはアウトラインを伝えてるつもりでも、ほとんど伝わっていません。実際同業者であっても、特別支援に関係のない先生は、そういうものに興味をあまり示さないし、呼んでもいない人が多いでしょ。

    ポイントは「狭報」ですかね。ちゃんとわかっている人が個別に情報を与えることです。ここで通級の出番です。

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  4. 相変わらずうまいこと言いますね^^

    「個別に情報を与える」その通りです。結局、一つ一つのケースを丁寧にしていく、につきます。
    その一つ一つのケースの積み上げから、ちょっとでも「広報」となるような伝達を活かし…でも、それで解決も納得もできるわけではないので。やっぱり、ケースごとにオーダーメードの手作業です。

    現場の同業者は、特別支援を勉強しなくても、児童理解を自然に努められる方なら話は通じる。逆に児童理解がねじれている人が特別支援の用語を使うと、さらにひどい有様です。自戒を込めて書いています。

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  5. 上の「呼んでないで人」は「読んでない人」でした。

    「お呼びでない人」もいますが・・・

    そうそう、特別支援用語はダメですね。

    アセスメントとか・・・すでに頭がセメントです。

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