2010年1月24日日曜日

ガラガラポン


 何を今さら、ではあるが、私は、弱く愚かな者である。環境に左右されず、確たる考えを持てるほど賢くも強くもない。
 環境をガラガラポンする、されることで、気づいていなかった自分の思いを突きつけられ、立ち止まって考え直す、そういった作業が必要な者である。
 Y.B.M氏が「本質的に大事なことは自分が何をしたいかであって、空気やタイミングを読むことではない。」と書かれていたが、全くその通り。
 それは、空気やタイミングと共に「人にどう思われたいか」ということも一緒である。自分が何をしたいかを大事にせず、他のことでその場その場を上手にやり過ごしても、ツケは必ず払わなければいけなくなる。案外、自分が何をしたいか、を考え、それを大事にするより「空気やタイミングを読み、人によく思われるように振る舞う」ことの方が簡単なことがある。私にとっては、そう感じることの方が多かった。
 さて、私にとってより簡単ではない「自分が何をしたいか」を大事にしなくてはいけないときになった。ここは正念場?ポイントである。神さまは、そんな表情をされるかどうかはしらないけれど、ニヤニヤ笑いながら「さて、どうする?自分がやりたいことを言ってみなさい。」と見てくださっているように思う。当然ニヤニヤ笑って言われたのではないけど、ベテスダの池で一人の病人に「よくなりたいか。」と言われたように、私も私の本質に問いかけられている。主の導きを期待し楽しもう。
 
 そんなことを考えながら(…このフレーズは、まただけど)、割り箸鉄砲を作って、写真の的を狙って輪ゴムを撃った。実に昔ながらのお遊びだけど、子どもは繰り返し撃っていた。新しく的を作ったり、置く位置を変えたり、輪ゴムを一度に3つほどかけたり…楽しむための工夫をあれこれし出すと、私としてはとっても嬉しい。そして、そうやって遊び出すことを私が楽しそうに喜んでいると、気づかないうちに子どもの心に沈めておける者になりたい。

4 件のコメント:

  1. こういう書かれ方をすると、まるで僕が自分のしたいことを理解して行動しているように思われるじゃないですか。
    本当は、そうできていない自分に対して書いた言葉であることを、付け足させてください。
    以前僕の周りには、「空気を読め」と反論しようのない正論で圧力をかける人が必ずいて、環境が変わってもその場所に絶対に誰かそういう人がいて、それに対抗したり、無視したり、逃げ出したり、いずれの方法を選んでもかなりのエネルギーを消耗して結局従うしかなかった自分に、それでもなんとかならんかったんかい、という気持ちを込めた言葉なんです。
    どれにしようか選べる今は平和です。

    ところで、この写真面白いですね。
    的に描くのはヒーローや人気者なのに、みんな怖い顔してますね。

    返信削除
  2. 勝手な引用、スミマセン。
    最近、うっと考えさせられることがあり、Y.B.M氏のこの一文もその一つでした。

    30日、楽しみにしています。
    よろしくお願いします。

    返信削除
  3. そして実際自分が今やっていることこそが、本当は自分のやりたかったことなのです。

    その人が成したことがその人の存在の証であり本質のすべてだと思います。

    やりたいことは未来にとっておかないことです。

    返信削除
  4. まったくです、ということでやりたいことをしに、今日30日はSIGN写真茶話会へ行ってきます。

    今の私は、はがゆい、です^^ でも、いい感じなんですよ。

    返信削除