2009年12月15日火曜日

勉強せえ

今年、学校の先生を対象にした研修で、以前書いた「愛着者が内在化する」ことの発達上の意味についてよく話した。その中で、三輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を引用し「愛着の形成をJ.ボウルビィやエインズワースの学説から、ああだこうだ、と言わなくても、様々な人が自分の思い出を通し語っておられ、私たちにとってとても当たり前のことでは…」と話した(他にも故仰木彬氏の言葉も引用した)。「ヨイトマケの唄」は三輪さんが歌うものより、桑田圭祐が歌っているのが個人的には好きですが…歌詞を以下に引用します。

ヨイトマケの唄  作詞・作曲:丸山明宏(三輪明宏)

今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄
 
工事現場の昼休みたばこふかして 目を閉じりゃ聞こえてくるよ
あの唄が働く土方の あの唄が貧しい土方の あの唄が

子供の頃に小学校でヨイトマケの子供 きたない子供といじめぬかれて
はやされてくやし涙に暮れながら 泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た  母ちゃんの働くとこを見た

姉さんかぶりで 泥にまみれて日にやけながら 汗を流して男に混じって
ツナを引き天に向かって 声をあげて力の限り 唄ってた
母ちゃんの働くとこを見た  母ちゃんの働くとこを見た

なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに泣いた涙も忘れ果て帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと言いながら  勉強するよと言いながら

あれから何年経ったことだろう 高校も出たし大学も出た
今じゃ機械の世の中で おまけに僕はエンジニア 苦労苦労で死んでった
母ちゃん見てくれ この姿  母ちゃん見てくれ この姿

何度も僕もぐれかけたけど やくざな道は踏まずに済んだ 
どんなきれいな唄よりも どんなきれいな声よりも 僕を励ましなぐさめた 
母ちゃんの唄こそ 世界一  母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄

私はこの歌で「勉強するよと言いながら」というところが大好きです。私も父親や母親の働く姿から、さぼりながらでしたが、勉強しよう、いや、勉強を、とではなくても、ええ加減なことはいけん、と思わされました。それが、支えだったな、と思います。

以前の光村の6年生の教科書には「石うすの歌」という壺井栄大先生の物語がありました。
8月6日の広島の朝の悲しみをこんなふうに伝えられる壺井栄大先生に感激しました(でも、「二十四の瞳」は読んだことも、映画を観たこともありません^^)。その中でも「勉強せえ、勉強せえ、つらいことでもがまんして―」という言葉がラストの場面で出てきます。

私は、ほんまに勉強せえよ!と心底子どもらに対して思います。「読み書き計算」そして学んで面白いことはいっぱいある。誤解を恐れず書きますが、学ぶのに特別な支援がいる子なんです、なんて甘ったれたことを言ってないで「つらいことでもしんぼうして、勉強するんや。」と思います。
ただし、ただし、あほみたいなベンキョウで全く不要な劣等感を持たせるようなベンキョウは、根性を決めて遠ざける、学校教育には不要な劣等感を持たせる罠が多すぎる、そして、本当に自分にとって大切な勉強を、覚悟を決めてやって欲しいです。
私は、そういう努力を子どもや保護者や現場教師と一緒にできるものでありたい。

3 件のコメント:

  1. しらんことをしったらオモロイ。できんことができたらウレシイ。基本はそこやと思う。

    先生も子どもに何かを負わせるんなら、自分もどんどん新しいことに挑戦して、そしてもっと楽しむべきやと思うわ。

    つらいことをしんぼうする意味は、その先にオモロイことやウレシイことがあるからです。

    ただつらいことをしんぼうすることに妙な意味づけをする人は学校にも教会にもいっぱいいますが、そういうパリサイ的な価値観には、「それは違うぞ!」と言い続けます。

    返信削除
  2. そうですね。クレヨンしんちゃんのマンガを一緒に読む以外、何かを一緒に楽しむことができなかった男の子と、先日木工を楽しめました。

    ただしんぼう、ではない、しんぼうや勉強のよさを考えます。

    返信削除
  3. めんどうくさいことや、ややこしいことをやりあげる楽しさを伝えたいね。

    返信削除