話を「1Q84」に戻す。
この小説の中でリトル・ピープルがもたらすもの、それをウィルスのようなものとすると、ふかえりと天吾が書き上げた「空気さなぎ」という小説はウィルスに対する抗体のようなもの、とされている。この世に蔓延する組織・システムなるものに、それが善ではなく全てではない、と気付かせるものが必要だ。村上氏の「小説を書く目的は、『システム』の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。」という言葉には深く共鳴する。
荒野でのイエスさまに、悪魔は「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」と語る。確かにこの世の組織・システムに乗り成功することには大きなリスクがある。もちろん、この世的な成功のすべては間違い、などと言っているのではない。ただ、この世でどんなに素晴らしい組織・システムのようでもこの世である限り完全ではなく永遠に続くものではない。心酔するように人や組織をほめたたえるとエライ目にあう。
昨日はY.B.M氏の案内で、プロカメラマンや彫刻家?などの人たちの座談会を聴きに行った。
私は、梅佳代さんに興味津々で、楽しませていただいた。その後、salt氏やUribossa氏も交えてお茶タイム?をした。雑談の中でこの人たちは、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心、をとても大切にしている面々だ、としみじみ思った。大切にする、というとじっと抱えて守るようなイメージがあるかもしれないが、実際は、かなりの戦いと思う。
さて、私は自分の、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心、を大切にしているだろうか。最近、いろいろガラガラポンして考え直そう、と思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿