2009年12月6日日曜日

1Q84 卵と壁(個、と組織・システム) ~前篇~

 何百万部売れたのでしょうか、ブームに少し遅れて「1Q84」を読んだ。村上春樹の小説は大好きで、翻訳ものとエッセー風のもの以外、小説は短編も長編もほぼ読んだ。
「1Q84」もおもしろかった。この小説についてメールのやり取りをしていると、salt氏からエルサレム賞での村上春樹のスピーチを再度教えてもらった。スピーチ内容は知っていたつもりだったが、再度読み直すと、「1Q84」だけでなく、村上氏の小説を読むポイントになる、と思った。
 一部を抜粋します。

「こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。」

卵と壁、つまり個と組織・システムの関係は、やはり相容れないもの、と思う。

 旧約のダビデにはいろいろ教えられる。特にアブシャロムから逃れ都落ちする際、シムイに呪われる場面のダビデにひかれます。そのダビデが、アブシャロムの戦死を聞き「わが子アブシャロム…私がまえに代わって死ねばよかったのに。」と嘆く。しかし、ヨアブに王としてあるべき姿を進言され、王として民の前に出る。よいとか悪いとかの単純な判定でなく、このときダビデは、父として卵(個)である姿を捨て、王として壁(組織)のふるまいをした。それは、王として父である自分を壊す、つまり、壁が卵を殺した場面のように思う。
 王制というシステム・組織を持つ限り、ダビデであっても「壁が卵を殺す」ということから逃げられなかったのでは。もちろん、「ダビデは信仰によって王の姿をとった…」と考えるのでしょうが。それはちょっと横に置いて?と考えると、もう一つ、考えさせられる場面が…。
 ダビデは召される日が近づき、その後継をソロモンに決めたとき、ソロモンにシムイとヨアブに対する報復を告げる。これも、よいとか悪いとかの単純な判定でなく、考えさせられる場面である。
 余談だが、ゴットファザーパートⅡで死期の近づいたドン・コルリオーネのマーロン・ブランドが息子のアル・パチーノに裏切り者について語るシーンがあったような。ダビデの壮絶さを映画から想像した。

 卵と壁、つまり個と組織・システムの関係は、やはり相容れず、壁が強大であればあるほど、卵に過酷なことを求めるように思う。

2 件のコメント:

  1. もともとこわれやすい卵を守るための壁は、大事な卵の薄い殻に包まれたいのちを圧迫するようになる。

    エデンの東に築かれては、また壊される様々壁は、親を失った卵の悲劇の物語ですね。

    簡単に言ってしまえば、元々イスラエルには王はいらなかったってことですよ。

    教会のすべての悲劇もここに始まり、ここに終わります。まことの王と出会うときに、恥じ入らなくてもすむ者は幸いです。

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  2. イスラエルに王はいらない、全くそうだと思います。

    しかし、王を求める人が多い…

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