2011年1月10日月曜日

トイレの〇様

あっという間に3連休も終わった。

子どもの頃、こたつの一辺を自分のエリアにし、おもちゃ・漫画・宿題・駄菓子を手の届くところに並べていた。当時は練炭炬燵で一日入っていると頭が痛くなった。その頃から寝っ転がって手の届くところに必要な物を置く習癖があり、昨日今日と自分の机のまわりを整理し直し、手の届く範囲にあるものを増やした。 娘が作ったウェイトレスの人形が似合う机まわりになった。

そもそも部屋の片づけが主ではなく、15年以上使っていた温水便座が壊れ、買い換えに量販店に行ったところ、地デジチューナー付きでPCのディスプレーにもなるモニター(HDMI、DVI、D-SUB、D5、ビデオ入力あり)が安くであり、便座とテレビを買ったことから始まった。
温水便座は交換の工事代が1万ほどし、渋っていると「自分でできますよ。」と言われやってみることにした。水道管まわりは極力はずしたくなかったが、付属の管と合わず、いくつかはずして取り替えた。止水栓を再び開け水を送ると、なんとか水漏れがなく「できた!」と嬉しかった。

この程度のことであるが、できると実に嬉しい、自信になる。なにせ機械類や木工類に対する苦手意識はとても強いので。パソコンも前職でコンピューター関係に勤めたからやろうとするが、その経験がなければもっとさっぱりだったろう。小さなチャレンジがうまくいき感謝。

トイレに〇様がいるのではなく、こんな日常に神さまがいる。
私に一日があるということは、こんな私をOKとしてくださっていることでは。
神さまがゆるしてくださっていることを淡々と行いたい。

7 件のコメント:

  1. 上の記事にほとんど関係ないですが、「トイレの○様」という曲はまだ聴いていませんが、そのタイトルを見て、岡林信康の「クソ喰らえ節」というのを想い出しました。

    その中に「天皇陛下もトイレでは○に頼っている」という歌詞があります。

    今は商業音楽ばっかりですが、昔はああいう歌を歌う人もいたんですね。時代を感じます。

    温水便座が付けられていいなあ。うちはトイレにコンセントがないので、いまだに水ではなく○のみに頼ってます。

    妙なコメントになってすみません。

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  2. 不思議ですね。
    我が家は結婚以来20年近く、温水便座を希望していたのに毎回却下。それが正月の福袋でかみさんが、便座カバーを新調したら、これが温水便座用。
    「便座カバー使いたいから、温水便座買ってきて」の一声。
    僕も取り付けには神経質になりましたが、何とか無事完成し、今は堪能しています。
    寒い朝の便座が暖かいのが何よりうれしいです。

    思いがけないことで、ことが進むことってありますね。あんなに欲しい欲しいと言い続けていたことが嘘みたいです。

    きっと神様のなさることも同じで、僕が「今今」と叫んでいることは大抵神様の「時」ではないのでしょうね。

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  3. Saltさん

    岡林信康って、そんな歌も歌っていたんですね。
    昭和は濃いといいましょうか。

    植村さんの歌はなんといいましょうか。紅白で8分もとっては、美川さんがかわいそう…。と言っても紅白を観ていないのすが。

    隆嗣さん

    さすがですね。私は「一から付けるのなら難しいですが、取り替えなら…。」と言われ、やる気になったのですが。
    今日は狭いトイレでかがんでいたせいか腰にきています。

    神さまのとき、はいつも不思議ですね。

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  4. 確かに頭が痛くなりました。
    潜ったときの独特の匂い、今考えたら人が簡単に死ぬようなシステムをよくまあ使ってましたね。(あと靴下も穴開けがちでした、掘りごたつだったので、ほぼ穿かなかったけど目)

    住宅程度の全ての職人の仕事はやれば誰でも出来る程度のものですが、段取りと時間と少しの道具と何よりヤル気でしょうか。

    Saltさんのトイレも外の電源から壁をぶち抜けば綺麗に割と簡単にコンセント出来ますよ。(電気工事は火災の可能性高いので慣れてないとやらない方が良いとは思いますが人のブログですみません)
    うちはヤフオクで1950円のパナソニックです。
    ヒビはありましたが、結構気にって使ってます。
    洋式トイレを発明したのは西洋人だが完成させたのは日本人だと思っている私です。
    それくらいあれが無い所ではしたくなくなるほど。はいトイレの神様はまあ、うんって感じです。
    「日常に神さまがいる」のはすごくいいですね。

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  5. ケータイに重いメールをどうも。

    返信しようと思っていたら、遅くなったのでコチラに。

    「自立」って難しいですね。筋ジストロフィーの友人が、数年前から障害者の自立の為のNPOを自ら立ち上げて活動しています。

    彼らが自立したところで、生活には思いっきり介助が必要で、依存だらけなのですが、それでも一人暮らししながら、自分の意思で時間と空間を管理して主体的に生きることは立派な自立なのですね。私は彼らの自立への思いを聴いてちょっと感動たことを想い出しました。

    クリスチャンも主への依存が何であるかを知ること、そして、正しく適用して感謝しつつ、自分の役割を楽しみながら、淡々と生きることが、結果として他者を養うこと、喜ばせることにつながるのではないかと思うに至っています。

    答えになっていないかも知れませんが・・・・

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  6. 電気屋さん

    付き合いのあった宣教師たちは、みんな物凄くテキトーに電気工事までやってのけるので、驚きつつ見ていました。おかげで、増築部のスイッチは理解しがたい順番につながっていて、今でも時々間違えるほどです。

    何でもやってしまいたい私ですが、どうしてやらないのかを考えると、そういう結果を恐れているのかも知れません。

    確かに前に電気屋さんが、おっしゃっていたとおりですね。

    「Saltさんの作るものって実用性のないものばっかやね」

    これ、名言です。これからもとことん無駄なものを作り続けます。

    電気工事は、いつか電気屋さんにやってもらえるのを楽しみにとっておきます。

    銀じ郎さんのところのコメント欄で失礼します。

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  7. おかしなメール、すみません。

    知らず知らずに家族を支配しようとしており、それはどっぷりとした依存でもあることを考えさせられ、…娘らの幼いながらも自立への踏み出しを、私の”支配と依存”で邪魔している、と教えられました。

    主への依存は、正しい自立へとなります。
    そうならないのは、主への依存が間違っているからでしょう。

    何にも言わず、淡々と生活し、たまに帰って、また、神戸にもどるときには、にこにこ笑いながら「また、帰ってこい。」と言う父を思うと、どうやっ我が子の成長を見守ってきたのか、と考えさせられます。

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