このいつのシリーズかわからなない合体ロボの横にY.B.Mさんが立っていたのは、とても不思議だった。
以前も取り上げたように思うが、
北山修さんは”帰ってきたヨッパライ”を数人の知人に「面白い曲ができたで」と紹介し楽しむつもりでレコード化したのに、テレビに出て、ただただ”帰ってきたヨッパライ”を歌うことになった悪夢のような…こんなことは耐えられないとマスコミから一線を引き、加藤和彦たちとは違う歩みを選ばれたらしい。
九大の最後の授業でも臨床心理を志す学生に
「どんなにたくさんの人がいようと、我々は一対一の関係です。」といったことを言われていた。
つくづく一対一の真実さを感じる。
学校は、1クラス30人前後の子に一斉に教え、いかに効率よく学ばせるか、を常に問う。
個別や小人数を相手にする私の仕事でさえ、効率のよい効果のある、そして、あわよくばAさんにもBさんにもCさんにも有効な指導を見つけ、実践しようとする。
一人ひとりなんて非効率で、時間や労力を要するものを、なんとか避けられないか、と知恵をついつい絞ってしまう。
そうして大事なことを見失い、最悪のことは、その失敗の責任を子どもやその家族に転嫁することだ。
効率を追い求める学校システムに大切な警鐘としてか、その愚かさを嘲笑ってか、どちらかと思うが、うまくやろうとする学校システムの中から思いっきり非効率で時間も人も要求するやっかいな労力がかかる事態が多発している。
おかげで私の仕事は空きがないほど相談が入る。
しかし、いつも不思議と自分がこれは受けきれない、と感じるほどの相談件数とはならない。
神さまが、私にゆるす方々・ケースだけが、私に来ている、と教えられる。
私は、神さまにゆるされ出会った方々との関係だけを大切にしていればいい。
それを自分の実績として関係ない第三者の多数に認めさせようとしたり、数や評価にこだわったりすると、あっという間にクルクルパーなことになる。
同業者に中で、あきらかな違和感を感じる者にある異物は、自分と出会う方々・ケースとの関係以外の不特定多数を意識する心だ。
Y.B.Mさんに無理をお願いしてしていただく写真茶話会は、私とY.B.Mさんとで楽しむものであり、私と参加者一人ひとりとの関係性を楽しむためのものだ。
あっという間にクルクルパーになりがちな私はこのことを肝に銘じたいと思った。
今日は朝食として、Y.B.Mさんに手作り目玉焼きを食べさせてしまった。
思えば学生時代の下宿で彷徨坊主さんも食べ、Saltさんも食べた塩辛いだけの目玉焼き。
腐れ縁が続いているお二人のような目にY.B.Mさんも…。
神さまにゆだねられていることを、しみじみ味わい楽しみたい。
銀じ郎さんには、一宿一飯どころではない恩義に預かりました。ありがとうございました。
返信削除何ともしみったれた恥の時代でしたが、山坂界隈の風景や出来事は、時折なつかしく想い出したりします。
つい最近も、チャーハンにライスを注文したデカイ君のことを不意に思いだして笑っておりました。
肝腎なことを書いていませんでした。
返信削除写真茶話会in神戸、楽しみですね。
またレポートしてください。
私もときおり思い出し笑いすることもあります…
返信削除なんだかな~としみったれることも^^
レポートしますよ。楽しみにしていてください。
創業30年変わらぬ味ごちそうさまです。目玉焼き、塩辛いだけでなく油っこいことも付け足しておきます。
返信削除子どもたちに食べさせるなら、油は新しいものに。
あの街も学校もすごく不思議なところでした。
あの地域が正確にどういう歴史があるのかは知りませんが、山を削って海を埋め立てた神戸の新興住宅や団地群は確かに異様です。
返信削除子どもの首でも切って、儀式めいたことでもやらないと、いのちの感覚を確かめられないような(私はこれを言い過ぎだとは思いません)人工的な無機質感が漂っています。
神戸に限らず、都会の薄っぺらさは田舎をも浸食し、日本中が国道沿いの書き割り的風景に飲み込まれ、ただ便利さだけを追求して蜂の巣みたいな家に住み、しかも蜂のようには協力しないでとことん利己主義を貫くのですから、そりゃわけのわからん事件もおこりますわ。
Y.B.Mさん
返信削除お疲れのところ、本当にありがとうございました。
私の仕事場を見て頂き、Y.B.Mさんならどんな写真を撮られるのか、気になりました。
1月を楽しみにしています。きっと疲れさせてしまうと思いますが、ちょっとは楽しんでください。
塩気と油注ぎは、ある種の人には欠かせないものです。
でも、塩は塩コショウで混ぜ物、油は古くてあやしいとあっては、むっちゃつっこむところとなりますね^^
Saltさんも触れられましたが、
私は、10年ほどあの地に住みました。
スーパーや病院も揃い子どもを遊ばせるにちょうどいい公園もありますし、道も広くて運転に困りません。至って便利なところです。しかし、便利で効率のよいことが心の豊かさを生むのではないことを教えられます。
それこそ「部の頃から…」といった奈良のような風土はなく、ほとんどの人が長くても3世代程度の住人が多い神戸は…それなりのよさもありますが、住んでいる者には気づけない”欠け”もあるのでしょう。
私などは立ち位置を変えて頂かないと気づけない典型的な人間です。いろいろな人からの刺激は面白いです。
「部の頃から」とは「物部氏の頃から」です。
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