2010年12月18日土曜日

気づき

子どもが学校へ行く、それは当たり前のことである。
しかし、本当に「学校へ行く。」という価値観は正しいのか…。

学校へ行けない、どうすれば学校へ行けるか、と保護者と話し合いながら、学校(その先にある社会)へ適応する、とはどういうことか、自問していた。
社会に帰属するとはどういうことなんだろう。
朝、起きて学校へ行く、チャイムが鳴ると教室へ入る、30人前後の人と一緒に決まった時間内に食事をする、それらのことが当たり前にしなくてはいけないこと、と思える子はいい。何がしかの理由でそんな当たり前が非常な困難さを感じる子らがいると、なぜそうしなければいけないのか、と考えざるを得ない。また、そんな生活の中で同年齢の子や先生たち大人と関係を築いていく意味…。
私は私、これでいいのだ、と思える自立への道筋は学校にある約束事に追従しているだけでは得られない。しかし、じゃあ”学校”など関係ない、というのではない。
真に人格的に自立していく者は、学校とも、もちろん社会とも健全に付き合える。
自立と依存、という関係性が正しくあり共存が生まれるべきところに、支配と被支配という関係性が持ち込まれ過ぎと思う。
私も適応が苦手だ。宴会の2次会など勘弁してほしい。「みんなで2次会に行きましょう。」なんて気持ちは共有できない。「こうしましょう。」「こうあるべき」なんて話の多くは支配的で「みんなで2次会に行くぞ。」くらい勝手な価値観の押し付けと思う。
自立と依存の関係性をはっきり意識できるようにし、支配と被支配の関係性にはきっぱりNOと示せるようにしたい。
押し付けられた価値観に適応できないからといって絶望しないで、抜け道を見つけ、「これでいいのだ。」と胸をはってやろう、私にもその伴走をさせてほしい。

4 件のコメント:

  1. すべての「当たり前」は疑ってかかる必要がありますね。

    最大公約数の正義感はうっとおしいものです。

    私はそういうものに逆らい続けてきました。これからもきっとそうだと思います。

    私にとっては「私の感じること」が一番大事なのです。それは誰にとってもそうであるはず。迷惑さえかけなければ何だってありのはず。

    「マイペースですね」と言う人に言い返したいのは、「そういうあんたは誰のペースで生きたいんや!」ってことです。

    まわりのペースに合わせるような支援は嫌いです。自分のペースがどういうものかわかる支援をしてやってください。

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  2. 銀じ朗さんもわかって書かれたとおもいますが、
    「子どもが学校へ行く、それは当たり前のこと」
    なのか、という疑問がまずあります。
    学校を「義務」とした事で起きる弊害
    学校→社会より
    目の前にいる人の為に自分が出来る事は学校に行くか行かないかは関係がない。
    ただつまはじきにされたままだと難しいのも事実

    諭吉に突きつけられた時の気持ちもわからいではないが、支配の為に学校が整えられたことも根底にあるわけで、いくら綺麗なオブラートにくるんでも漏れてくる苦さはある。

    失礼な話ですみません。
    部外者からの只のつぶやきだと思ってうけながしてください。

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  3. Saltさん

    自分が気になる価値観に囚われず生活している人を見ると、つい「マイペースですね。」と言ってしまうんでしょうね。
    全く誰のペースで生きようとしているのか、誰にどんな評価をもらいたのか、と思います。

    学校に、学級に適応する、ということを考え直されています。

    でも、より平安のある仕事ができそうです。

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  4. 電気屋さん

    学校というものは、随分あやしくなっています。
    でも、こんなものは体制が権力者が支配するためのものだ、とばかり言っても現実的ではありませんね。

    知らず知らず一面的な思考にさせられているから怖いです。
    ほとんどの善良で有能な先生も思考が固められてしまいます。
    すごい社会です。

    学校ぐらいのもの、負けずに受け流せ、とも思います。
    ピーピー軟弱なことを言い過ぎのこともあります。

    バランスがとれ、多面的にみて多様に振る舞えることが大切です。
    私の判断では無理、見上げるべき方を見失わないようにします。

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