2010年2月13日土曜日

2月の日ざし



2月になると日ざしが明るくなる。透明感のある明るさというのか。まだまだ寒いが、春が感じられ嬉しい。

照明とか日光の具合とか、詳しくはわからないが、光の照らし方で随分と見え具合が変わる。Y.B.M氏の写真講座でも教えていただいたが、すごいことと改めて思う。

先日、まど・みちおさんを取り上げたNHK番組で、一日の終わりは天が一日の死を毎日毎日訪れさせ、死を教えてくれているのだ、といった内容のまどさんの詩を朗読していた。

一日の中でも変わっていく日ざし、その一日も季節によって変わっていく、そう考えると神さまはなんと繊細な配慮でこの世界を私たちに見せてくださっているのか、と思う。

今朝は、娘二人がそれぞれ部活に出かけ、妻もパートに出かけ、結局私が一人残った。女3人が出かけた我が家の玄関に思わず目が体がとまり、デジカメで撮った。

何気ない一日だが、いい一日だ。感謝。

4 件のコメント:

  1. 気づくこと・気づかないこと
    そんな写真ですね。
    僕は、みんなみたいにブログはやっていませんが、ほぼ毎日iPhoneで写真日記みたいなものを続けています。
    また、これはと思う写真が撮れたら、メールします。

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  2. いい写真ですね。まさに文学されてます。

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  3. 家族って、不思議なものですね(笑)。

    ことばにできる、言語化されると、見分けられ何らかの形をつかんだことになると思います。でも、ことばにできないものも当然たくさんあります。私の教育相談では、話をしてもらう、ことばで表現してもらう、ことができない部分が大きな意味合いを持ちます。本人がことばにできないけど抱えているものを、絵にしてもらったり、遊びなどかかわりで表出してもらったり、それをいかにキャッチするかが、私のポイントです。

    写真を教えてもらって、ことばではない表出手段を教えてもらいました。ことばにできると、見分けられほっとする気がします。同じように写真に撮ると、それでほっとするするものがあります。

    心理検査にバウムテスト(実のなる木を一本描いてくださいっていうやつです)というものがあります。そんなもんで人の心の何を見分けたつもりになるのか、と嫌になるけど、絵で表出し伝えるものをくみ取る、キャッチする力を私は身につけなければ、と思います。ロジャースという人がいう共感も、なんでもOKということではなく、キャッチすることでは。キャッチできていれば「私はそう思わない。」とこちらが言っても、ちゃんと納得される。キャッチもしていないに「そうですね。」とか共感したように言われても苛立ちを増させるだけですね。

    写真や絵や音楽や、スポーツも…非言語でのコミュニケーションと言語のコミュニケーションがあるからこそ、楽しい関係が与えられますよね。

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  4. ええ写真やね。ちょっと感動しました。どれがカナの脱いだスリッパかななんて・・・ドラマがあるね。

    私ももうひとり女の子が欲しいなとか・・・

    フロイトにしてもユングにしてもアドラーにしてもロジャーズにしても、それなりのことを言ってますが、日本の学者は大抵は思考停止の受け売りです。特に発達検査系はそうです。

    生きものとして子どもを出逢うこと。まどさんのいう末期の眼をもって見つめることですね。

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